自分のルパパトスピンオフ希望記事を振り返る(2): Google砲と「ノエル ルパパト 嫌い」
「自分のルパパトスピンオフ希望記事を振り返る」の後編。
ここでは、スピンオフを希望する活動の中で印象に残ったエピソードについて。
書いて良かった探しだの無理やりな自慢だのと言いつつ、例によって結構ネガ入っているのでご容赦を。
なお前編はこちら。
自分のルパパトスピンオフ希望記事を振り返る(1): 下手な鉄砲数撃って
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2020/06/15/222054
■Google砲に被弾した
普段このブログのアクセス数は1日に50~120、たまに200近く。ごくごく稀にそれ以上。
月に2000~3000アクセス、たまにそれ以上くらいの雑魚ブログ。
それが去年の8月26日、突然1日で3000超え。20~30倍に跳ね上がった。その時のグラフのスクショがこれ↓。記念に保存しておいた(笑)。
びっくりするわ怖くなるわで、バグなのか何かヤバい事にでも巻き込まれたのかと焦った。
訳がわからないままなのも気味が悪いのでいろいろ調べた末に、Google アナリティクスというアクセス解析ツールを導入。
そしたら参照元に<googleapis.com>というドメイン?があったので調べてみると、どうも前日にアップしたこの記事↓
ルパパト: リュウソウジャーVSに向けての心配
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/08/25/002557
がGoogle Chromeというアプリのおすすめ記事?になぜか入ってアクセスが集中したことがわかった。
一時的に物凄くアクセスが跳ね上がるから巷ではGoogle砲って言われている。
どういう記事が選ばれるのかちょっと調べてみたけど良くわからない。
SNSでの反応も影響って言うけど、もっと反応あった記事は幾つかあったし。
偶然宝くじに当たったみたいなもん?と言ってもこのブログ、今のところ広告料収入とか入るわけじゃないから関係ないけど。まあやってたらどうだったのかな?とはちょっと思った(笑)。相場とか単価とか全く知らないけど。
■心配で心配で
狙ってそういうのに選ばれる記事を書く力は私にはないから1回限りのラッキーだろうけど、でもどうせ当たるのならこの記事で良かったのかもしれない。
死んだアルセーヌ・ルパンを蘇らせようとしているノエルと、死者蘇生に否定的に見えるリュウソウジャー達とのスタンスの違いが、リュウソウジャーvsでどう扱われるのか物凄く心配になってもう、小さくてもとにかく声を挙げたい気持ちに強く駆られての記事だったから、あの時は誰かか何かに応援して貰えたような気持ちにもなった。結局杞憂だったけれど。
またその頃は正直、タイムレンジャー配信の感想と同時進行で毎週書くのに疲れてもいたし、ルパパトキュウ円盤も発売されてルパパト商品の供給もひと段落、そろそろ潮時?そう思い始めてたんだけど、もうちょっと続けてみようかと思い直せた。その後に書いた記事にも、現在検索1ページ目に残っている記事が幾つかある。
■心配の根底にあるもの
なぜそんなに心配だったかと言えば、ノエルの願う死者蘇生が倫理的に賛否分かれるものだから。否定されてもおかしくない。
というかそもそも過去に見た東映作品では、死亡直後の蘇生は肯定的に描かれても、死んだ相手を何年も追い求める行為は、平成ライダーの敵ボスみたいに、同情はあっても否定されてばかりだったから。
東映は、死者蘇生に否定的ではなかったの?
なのにVS続行のために追加戦士というメインキャラの、ヒーローのノエルにそんな願いを背負わせたまま永遠に放置で、それで綺麗に終わったやりきったと言うの?
それってキャラというより舞台装置では?
快盗たちの人生を自分の願いに縛りつけて、「ノエルが死者を諦めないせいで快盗たちはいつまでも幸せになれない」と言われかねないのに。
と凄くモヤモヤしたし悲しかった。
当時は死者蘇生についてそこまで突っ込んで書くのは気がひけた部分もあったけど、根底にあるそういうのやりきれなさを、Google砲に救われた気がしたんだよね。
■相反する気持ち
ただ「あれもノエルが悪い、これもノエルのせい」だの「ノエルのせいアレルギー」だの「これから書くものはもうちょっとなんとかなりませんか」みたいな恨み言も一度にそれだけの人数にお届けしちゃったのか・・・と身が縮む思いもして正直かなりビビッた(汗)。
読者の多い人気ブログならたぶん少ないと言われてしまうその人数でも、私には一度に来られるとキャパオーバーなんだろう。声の大きなファンになりたいとか思って検索上位狙いしてたくせに。
一方で、その中にルパパトの関係者はいなかったのかな?というのも気になった。なんだかんだ言って最終的に届いて欲しいのは制作してくれる人たちなんだから。
Google砲は、ユーザーの参照記事の傾向を見て興味のありそうな記事をお薦めするシステムらしいから、関係者がルパパト関係の記事を読んだり検索してたりしたら、お薦めされてた可能性もあるのかも?
読んで貰って心に引っかかって欲しいという気持ちと、いやでもこんなのお薦めされても余計なお世話じゃね?・・・という心配と。そもそもこの程度の人数の中にいるのか?と打ち消して見たり、とかいろんな考えがぐちゃぐちゃぐるぐる(汗)。
もっとも似たような心配や要望は公式には送付済みだったし同じように考えた人は他にもいただろうから、そういう意見があるってのはとっくに把握されていたんでは?とは思う。
ちなみにこの記事、その大量アクセスのせいもあってか、書いて数ヶ月は「リュウソウジャーvsルパパト」で検索の1ページ目にいたようでアクセスの稼ぎ頭だった時期もあるけど、公式から上映を正式に告知された途端、新しい情報の洪水に遥か後方に押し流された。検索ってホント儚い(苦笑)。
■「ノエル ルパパト 嫌い」
この時に入れたGoogle アナリティクスという解析ツール、未だに全然使いこなせてないんだけど、どの記事にどれだけアクセスがあるかと、どんなワードでの検索から見に来てるかが一部だけ(Google検索は暗号化されているので表示されない)表示されるので、たまに見ている。
表示されたワードで検索すると時には思いがけない記事が出てきてそれが面白かったりもして。
だけどある時、「ノエル ルパパト 嫌い」ってワードが表示されてるのを見て「げっ・・・」としばらくフリーズしてしまった。
「今でもまだこんなワードで検索する人がいるんだ・・・」
と、なんとも言えない気持ちになって、よせばいいのに自分でも検索してみたんだよ。
そしたら、かなりストレートなタイトルのノエルのアンチスレが一番上にいて、一緒に私のこの記事が並んでいた↓。
ルパパト: ノエルは警察のために何をしたのか
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/04/06/162842
もともと検索上位は専らノエルのスピンオフ希望を訴えるために狙っていたから意識がそっちに全振りだったし、自分の記事がそんなワードの検索結果にいると思っていなくて不意打ち食らったというか。
まあ、はっきり嫌ってる記事というかアンチスレは、今残っているのはその一つくらいっぽかったから気にするほどではなかったのかもだけど、同様意見の集合体だし、批判への免疫力が放送時や直後よりだいぶ落ちちゃってたのか、結構ショックで当時の辛い気持ちが蘇ってきてしまったんだよね。
同時に、公式完全読本によれば「警察はノエルを終盤まで信頼しきらない方がいい」という方針があって、恐らくそのためにノエルの警察官としての活躍や貢献の描写を抑えて、ビークル獲得の邪魔までさせて快盗贔屓に見えるようにしちゃった。その結果がこのスレの人たちなんだよな、って改めてやりきれなくなったり。
そのアンチスレは49話直後のもので、咲也に胸倉掴まれたシーンのノエルについて批判が多かった印象。だけど、私の上の記事もちょうど49話のノエルについて自分なりの擁護的な解釈も語っている。
だから今回そんなワードで検索した人がこれ読んで何を考えたんだろとか気になったし、思わず
「お前、知らない間にこんなとこにいたのか。よし頑張れ、あともうしばらくそこに踏ん張れ~~!」
って応援してしまった(笑)。
そんなの、誰が何言おうと気にしないで自分の解釈を大事にしていればいいってのが結局正解なんだろうけど、それが中々出来ない性分で(苦笑)。
(ちなみに今回見たらそのアンチスレは当時より順位を下げていたので、秘かにもうちょい下がれと念を送っておいた)
■好きになりたかった人に
それに似たケースに「ルパパト ノエル ひいき」がある。
アナリティクスに表示されたのを見て「うわあ、今度はこれかよ・・・」って思いながら検索したら、この記事が出てくれた。
「ルパパト: 構造や売上が ノエルと警察、それから結末に与えた影響について(長文1)」
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/02/23/170014
「ルパパト: 構造や売上が ノエルと警察、それから結末に与えた影響について(長文2)」
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/02/23/170024
私が最終回後に初めて、ノエルと警察の描写についての考察を書いたもので、こちらも私なりのノエルの擁護にもなっている。
この記事には思い出がある。
ノエルを好きになれたらいいなと思ってた(けどなれなかった)というある人から、「ノエルを好きな人の見方を知れた」と、好意的な受け止め方をして貰えたこと。
その人は、他人の好きを否定しないし、たぶんルパパトが好きだから全員を好きになりたい、ノエルのことも好きになりたくて最終回後に見直してくれるような、ノエルを好きになることを諦めないでいてくれた人だった。
だから、私の記事も否定しないでくれたのかもしれない。
直接話しかける勇気もないままそれっきりになってしまったけれど、1人でもそういう人を知る事が出来たことに勇気づけられたし、さんざんアップを迷ったから余計に、書いて良かったと思うことが出来た。
同時にそういう人にこそちゃんと好きになって貰える描写を、これからでも公式にもっとして欲しいと思ったし、今も思っている。
■これも気休めで、希望
今はもうそんなネガティブワードでわざわざ検索する人は少数だろうから、そこに居座る意味は小さいのかもしれない。
それでも、本放送時にノエルへの激しい批判に胸が潰れる思いを何度もした私には、これらの記事がそういう位置に踏ん張っていてくれるのだって、せめてもの気休めで、希望なんだよ。
願わくばいつか、ノエルのスピンオフできちんと「警察官のノエル」が描かれる時までしぶとく残り続けて、これからもそんなワードで検索する人の目に止まってくれれば良い、読んでノエルへの印象がちょっとでも変わってくれるならもっといい、と、図々しい希望を持っている。
でも所詮そんなの影響は超限定的で、結局は公式がきちんと供給してくれることの効果に比べたら微々たるものなんだけど。
■ルパパトの影の部分
今回挙げたこの2種類のエピソードに関わっているのは、VS続行endの舞台装置として死者蘇生という願いを持たされ続ける倫理的な危うさと、テコ入れによる「警察官のノエル」へのしわ寄せという、ノエルが背負わされたルパパトの光と影の影の部分だと個人的には思う。
それは私にとっては今も現在進行形のもの。
一方、(1)で1年経っても変わってないと嘆いた
・警察官としてのノエルの名誉回復
・パトレンとの関係の深掘り、特にパトレンがノエルの出自や願いを知るというドラマ
・ノエルの願いの結末
という3つの願いとは、それらを解決、払拭できるものだったんだと今回書きながら思い当たった。
リュウソウジャーVSで一時的に良く扱われ埋め合わせして貰っても、影の部分はそれだけでは解消できない。もっと根本的なものなんだ。
やっぱりスピンオフでこの3つの願いをきちんと扱って欲しいと改めて思う。
■過去に囚われた人?
1年以上前に終わった番組に対してこんな振り返りを未だにして、しつこくスピンオフを願い続けている私は「過去に囚われた人間」なのかもしれない。
だけどノエルじたいが死者蘇生を願うなんていう、最強に過去に囚われた人のままで今も居続けているんだから、彼のファンがそうなったって仕方ないでしょ?
そんな屁理屈をこねてみたくなったりもする。
まあ振り返ると私はずっとこんな風に、
「ノエルのスピンオフを願うのはあんな理由こんな理由で無理もないことなんだ」
ということを言いたくて続けていた部分もあると思う。
役者さんやノエルファンのと言うと主語が大きくなってしまうから、ぶっちゃけ私の、ないものねだりの我が儘なんかじゃないでしょ?、と正当化したくて(笑)。
そんな繰り言にずっと付き合って、応援して下さった方達には感謝しかない。
改めてありがとうございます。