リュウソウジャーVSルパパト 感想2: (ノエル限定で本編の愚痴多め・ネタバレあり長文)
リュウソウジャーVSルパパト、全体的な感想は前回書いたけど、今回はノエルとその周辺について。
いったんはこれがルパパト最後の作品にもなることから、これまでのノエルの描かれ方についてや今後の続編の希望についても、多分にこれまでの恨み事も混じって脱線もしたりで物凄く長くなってしまった(汗)し、前回の全体的な感想とはかなりトーンが違っていて合わない人もいるのではと思う。ごめんなさい。
■全部杞憂
今回は始まる前にはあれも心配これも心配で、他戦隊とのVSというお祭り企画がこんなに怖いと思ったことはなかった。
でも全部杞憂だった。全編知恵と工夫と配慮に満ちていた。
私がこのVSをやたら怖がった理由は、ちゃんと整理出来てないけど主に以下の通り。
<劇中のノエルの描写>
①ノエルの死者蘇生の願いと、リュウソウジャー達の倫理観との違いに焦点が当たって
「赤青桃は大事なマスター達を生き返らせようとはせずに平和のために戦っているのにノエルは」
などとノエルの願いが劇中で否定されてしまわないか
②「あれもノエルが悪い、これもノエルのせい」だった本編終盤のように、今回もノエルが敵に利用されたり足を引っ張ったりしてしまわないか
③本編後半やルパパトキュウのように、物語の都合で警察官としての信念を捻じ曲げられたりしないか
<スピンオフ制作の可能性に関して>
④劇中で中途半端に願いが解決してしまわないか(ノエルが諦める又はちゃっちゃと生き返る等)
⑤もしくは軽いものとして扱われ(実は生きていたとか)、これにて打ち止めと示されてしまわないか
⑥パトレンが劇中でノエルの願いやルパン家という出自を知る展開が挿入されて、主題のリュウソウとのVSを圧迫したり、既に知っている状態だと示されて今後それを知った時のドラマを続編でやる余地がなくなったりしないか
⑦これだけ活躍させてあげたんだからもう続編は勘弁と示されてしまわないか
・・・・どんだけ心配してんだよって言われても仕方ないと思う(笑)。
すみませんこれまでの経緯でかなり心配性だったもので。
でもほぼ全部杞憂だった。
■倫理観の対比を避ける配慮
①について。
映画もパンフも「ノエルはアルセーヌ・ルパンを生き返らせようとしている」という事はさりげなく隠していた。
ノエルが玉手箱を欲しがるのは形見としてだとアスナは認識したし、オトちゃんが初美花のアルセーヌに対する反応を気にかけた時も
「一番会ってみたい人かな・・・・うん、絶対会うね」
と言うだけに留められた。
以前書いたようにVSには重すぎる要素だというのもあるんだろう。
でも、それだけじゃなく、私も
ルパパト: リュウソウジャーVSに向けての心配
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/08/25/002557
とかで心配したような、ノエルの願いとリュウソウジャーたちの死者蘇生に対するスタンスや倫理観の違いが前面に出て、余計な対比を生んだりそれによる感情のササクレが起きたりしないように、細やかに配慮してくれたのかなと思った。
それらを踏まえると、公開前に私が
ルパパト: 「会いたがっている」と言われて~リュウソウジャーVSに向けての心配再びみたび~
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2020/02/01/233445
で心配した公式HPの「ノエルは恩人のアルセーヌルパンに会いたがっている」という表記もその配慮の一環だったのかもしれない。
でも意固地な私はそれらの配慮にはお礼は言いたくない(苦笑)。
願いに決着がつかないままで放置されなければ、そもそも無用の心配で無用の配慮だったと思うから。
でも上記の記事であれこれ言ってしまったリュウソウジャーのHPのスタッフさんには、謝りたいと思うし、脚本に香村さんを起用してくれたことに感謝したい。
■ノエルの願いもそのまま
④⑤についても、アルセーヌは故人のまま、ノエルがそれを復活させようとしていることもそのままだったので杞憂だった。
■パトレンの交流も最小限
⑥について。
パトレンチームとの交流は必要最低限の意思の疎通は出来ていて、それ以上、特に「ノエルの出自や願いをパトレンは知っているのか」といった私個人にとって重要な部分には一切踏み込まなかった。
私はそれでよかったと思っている。
何度でもいうけど、そこは、ノエルの願いの結末を描くスピンオフできっちり焦点を当ててほしいと思っているから。
■ノエル史上最高に扱いが良い
②について。
私は以前、本編及びルパパトキュウでのノエルの描かれ方が個人的に我慢の限界に達して
<「これから作るものはもうちょっとなんとかなりませんか」と言いたくなってる。>
と書いたことがあるけど「もうちょっとなんとか」どころじゃなくて、凄く良かった。
・序盤から無駄なアクロバット
・自分を盾にして金庫の中の騎士竜達を守る
・信念や心情、苦悩をはっきり正直に打ち出す。
・アルセーヌというノエルの大事な人のキャラクターの掘り下げ
・アルセーヌへの思慕も交えながら、リュウソウメンバー特にアスナやメルトと「素直で温かな」交流
・パトレンチームとも最低限の意志の疎通を図る
・解決策の発案
・最後の〆。
大活躍と言っていい。
もっと言うと正直、本編のどの回よりもトータルで扱いが良い(苦笑)。
それもどうなの?って思うけど。
「良く書いて下さってありがとうございます」
の言葉が喉元まで出かかっている。でも言わない。
■おかえりなさい
今回の描かれ方は、私が本編で見たかった、というより、まさか本編で最後まで見られないとは思っていなかったものだから(涙)。
どんだけ香村さんへの思い込みの期待値勝手に上げてんだよ私(汗)。
でも、今回描かれたノエルは、28話あたりまで見ていて「きっとこの人はこんな人だよね」って思っていたまんまのノエルだった。
胡散臭いのは上辺だけ。本当は、自分とは無関係の誰かでもギャングラーのために苦しむのを見ていられない、平和を望む優しく思いやりがあり賢い人。
やっとVSの舞台装置でもテコ入れの調整弁でもない、25話か28話くらいまでの、きめ細やかにフォローして貰える「香村戦隊の、ルパパトのキャラクター」に戻してもらえた、ってのが正直な感覚だろうか。
おかえりなさい。って嬉しく思うのと同時に、もっと早く本編で会いたかった、という気持ちがどうしても湧き上がってしまう。
つまりは今回、相当神経使って書いていただいたんだろうに、贅沢なことを言っているのかもしれないとは思う。
もしかしたら、他の戦隊のキャラの中にも、トータルでノエルより描写への配慮が足りないと感じるキャラもいるのかもしれない。
でも、私の比較対象はあくまで香村戦隊の、同じルパパトの戦士達なんだ。
本編でテコ入れが表面化してから徐々に、他の戦士がきめ細かに好感度に気を遣って描かれているのを見れば見るほど、ノエル1人だけがそういう香村さんのフォローから突き放されているのでは?という気持ちが強まっていった当時の戸惑いと寂しさや、その結果ノエルに向けられた激しい批判の数々を思い出すと意固地な気持ちになってしまうのかな?
ごめんなさい。
■本編のノエルの扱いに関する無念
映画の感想から脱線してしまって申し訳ないけど、私は以下のような不満点を、これまでこのブログで超しつこくしつこく(汗)書いてきた。
・かなり終盤まで思わせぶりに謎を引っ張る役で、本当の心情はなかなか語られず、内面を掘り下げる機会が乏しく、特にアルセーヌ関係はかなり情報不足だった。
・警察に対する貢献や活躍は諸事情により描写を抑えられ、それどころかパトレンの追加ビークル獲得を邪魔する役目を負い、テコ入れによるタナボタ強化と引き換えに警察を強化出来ない物語上の責任を実質上押し付けられ、共闘を望むのに強化出来ない苦悩の描写も封じられてしまったと思う。
・人外設定は特に隠す必要のないもので肩透かしとなり「ノエルがいたずらに事態を悪化させただけ」という見方が生じ、人外設定に絡んだ「ビークルを使わない理由」も不発に終わる等の結果、終盤のピンチやトラブルの発生元をノエル1人に集約しその挽回のための戦いから必要に応じてノエルを外すためにしか機能しなかった。
・終盤は「あれもノエルが悪い、これもノエルのせい」で、その挽回にはあまり尺をもらえなかった。
・両戦隊を共闘させようと「一番茨の道を歩いていた」ことはメリットよりデメリットを強調され、誰からも労われることなく責められ胸倉掴まれて終わった。
・最後の共闘も「ドラマ」には絡めず、特にノエルの願いや出自を警察が知ったかどうかは触れずじまいだった。
・アルセーヌを生き返らせるという願いもVS続行エンドの舞台装置として使われ放置されたまま終わってしまった。
・最終回後に公開されたルパパトキュウでは、パトレンのビークル奪取のためにコグレと本気で小芝居を打ち、「平和への思い」というノエルのキャラの核の半分はまたもねじ曲げられた。
これらの多くは、ただでさえバランスが難しいVSを、販売不振によるテコ入れというアクシデントにも見舞われながら貫き完走するために、ノエルが番組に作った「貸し」だと受け止めている(怖)。
だからなんだか、この映画である程度返してもらったっていう感覚。
ごめんね、「ある程度」で。今回の映画でこれだけ良く書いてもらっても、まだ貸しは幾つか残っている計算なんだ。
残っているのは個人的な感覚では
・警察官としてのノエルの名誉回復
・ノエルの願いや出自をパトレンが知るというドラマ
そして勿論
・ノエルの願いの決着
かな。
(・・・以前ムック本「VSコレクション」の各話解説での<ノエルのせいで>の連発に煽られたのをきっかけに、不満点をいちいち棚卸なんてことをやらかしたから良くないんだよ。
あれで自分の中で不満点が見える化して、時と共に忘れ去ったり痛みが薄れたりということがなくなってしまった(汗)。おのれVSコレクション(責任転嫁)。)
■警察官としての行動原理?
③については今回は快盗としてのノエルが前面に出ているので、警察官としてのノエルはそもそも描かれる機会はなかったし、⑥についてと重なるけど、それで良かったと思う。
でも、凄く大事なことを聞きたいよ。
「もうこれ以上ギャングラーのせいで悲しむ人を見たくないからね」
それってノエルが国際警察の一員として戦う事を決めた動機なの?
だとしたら本編が終わってからお祭り企画で初めて明かされることが残念でならない。
本編中に明かされるのを待ってた人たくさんいるんだよ。ノエルファンも、そうでない人も。
私の場合は、ヒーローの行動原理を描くのが人一倍お上手だと思っている香村さんが描いた「ノエルが警察官として戦う動機を語る」場面が見たかった。凄く見たかった。
特に何度目かの愚痴になるけど(呆れ)、あの38話、サイレンストライカー登場回で。
あの回で圭一郎から「どんなに胡散臭かろうが人間である以上助けない選択肢はない」という、助けるパトレンの気高さだけを一方的に強調し、もう片方は1ミリも褒められていない、人間でさえあれば悪人だろうが犯罪者だろうが通用する言葉を投げつけられたノエルは感激して、後に自分が人間ではないことを明かした時にも、そのことを「嬉しかったよ、ありがとう」と言った。
もしかしたら人間でないことへのコンプレックスで自分を低く見ていたノエルには嬉しかった、だから良いでしょ?というロジックかもしれない。
けど、「人間扱いされて喜んでるよこいつ(笑)」と嘲る人はいたし、ノエルを好きな私は辛かった。というか、はっきり言ってしまえば惨めさを感じた。
いくら強化出来なくなったパトレンへの配慮、好感度を優先したと言っても、これがパワーアップする「ヒーロー」の扱いなのかと。ノエルが実は人外だろうと好きで見ていた私の気持ちには関係ない。
あんな基本的人権の尊重による一方的な救済でなく、今回の映画のようなノエルの信条が明かされることで信頼を深め合う展開だったら、私含めてもっと幸せになれた人が少なからずいたのでは?と、どうしても思ってしまう。
でもあの回はそれがいろいろ難しい状況だったというのはもうわかっているし、今からでもフォローして貰えたのなら、ないままよりは良かったけれど。
■警察官としてのアクション
「無駄なアクロバット」は、「ノエル回りすぎ(笑)」みたいなコメントがあちこちに見られて、きっとこの映画の楽しさをアップしてくれたんだろなというのは間違いないと思う。
でも私は、それを見ながら、ノエルはこういう「無駄なアクロバット」や攻撃から逃げるためのアクロバットはあったけど、警察官として敵と戦う素面アクションだけはなかったんだよな、とついつい思ってしまった。
今回の映画はあくまで怪盗としてのノエルを前面に出しているから仕方ないけど。
(でもそれを言ったらルパパトキュウでも、制服こそ警察だったけど、パトレンの装備を奪おうとしていたことを思うと決して警察官のノエルではなかったけどね。←しつこい)
本編で警察官としての素面アクションがなかったのは警察陣営ではノエルだけなんで、スピンオフで解禁してほしいな。
それは、ノエルの警察官としての信用回復を願う意味もあるから。
■キツかった思い出
公式完全読本によれば、本放送中、「警察がノエルを終盤まで信用しきらないように」という制作側の意向があったとのこと。
そのために「警察がノエルを信用できないのは無理もないことなんだ」と思えるような描写が(信用しきらない警察が好感度を落とさないように)念入りになされた結果、ノエルの警察官としての思いや活躍・功績の描写は抑えられたと思っているけど、それは同時に、特にパトレンに肩入れして見ている人の一定数にも圭一郎達と同様に
「ノエルを信用しきれない、好きになりたいのになれない」
というストレスを生んでしまったのでは?と思っているので。
思い返せばあの頃、
「せめてもっと市民を守って戦う姿を見せてほしい(→好きになりたいから)」
「警察官になった動機をもっときちんと見せてほしい(→信じたいから)」
と苛立つ人をネットで何人も見たよ。好きでよくチェックするブロガーさんのノエルを語る口調がだんだん厳しくなるのを悲しく見守っていたり。
私は仮面ライダーゼロワンの刃唯阿さんのことを思い出すのだけれど、飛電を追い込むためにえげつない裏工作等を重ねる彼女の好感度をかろうじて保っているのは、病院回で見せた市民や不破の命を守ろうと必死な姿だと思うと、当時のあの人達の苛立ちを否定しきれない。
誰もが私とかみたいにノエルのちょっとした言動の意味やその行間をあれこれ細かく拾って好意的に解釈するわけではないし。
その結果、番組アンチではないむしろ熱心なルパパトファンの一部の人にボロクソに批判されアンチスレまで見かけてしまって、心が潰れる思いを何度もしたのは辛い思い出。
あの人達は今回のノエルを見てどう思ったろう。ちょっとは好きになって貰えたろうか?
それともまだ「あれは警察官としてのノエルじゃない」だろうか?
圭一郎達や人々を守るために自分の身をゴーシュに差し出したのを見てもなお「どうせビークルの安全確保のためだろ?」と冷ややかな人たちを見かけて、根深いなあ・・・とため息をついたことがあったし、その後で咲也に胸倉掴まれた場面についても過激な言葉での非難をたくさん見たのはトラウマみたいになっている。
■警察官としてのノエルも取り戻したい
そうなった原因は主にテコ入れによるビークルの偏りにあると考えていて、番組的にやむを得なかった部分もあるのだろうけれど、最終回も終わった今はもう「いくら警察との信頼を深め合っても警察にビークルを渡せない」といった障害はない。
最終回でサイレンストライカー、そして今回の映画でスプラッシュも「本来の持ち主」である圭一郎の手に渡り、あのテコ入れの歪んだ形からもとに戻った。
だから、「警察のビークル入手を邪魔しようとした」と描いてしまった事実はもう取返しがつかないのかもしれないけれど、テコ入れのためにさんざんしわ寄せを食った「警察官のノエル」のことも今からでも取り戻してほしいという気持ちが、ノエルの願いに決着をつけてほしいという気持ちと同じくらい強い。
ノエルの見方を分けるものの中で一番顕著なのはノエルがパトレンにビークルを送ったのは本当にミステイクか、それとも心底平和のためか、の解釈の違いかもしれない。
だから私は、過去に書いたように、最低でもノエルがビークルを送ったのは本心であるとハッキリ描いてほしいと思う。
またそれと同時に圭一郎達に、ノエルが実は魁利達を雇ったルパン家に所属していること、アルセーヌ復活の願いと平和への願いを両方掴んだまま、誰に何を言われてもボロボロになっても放さなかったことをきちんと知ってほしいし、その場面を描いてほしい。
特に「ノエルって物事をごちゃつかせていた印象しかない」と言う人を今でも見かけると、その気持ちが強くなる。
■「諦めない気持ち」が目指すもの
⑦について。
ラストでノエルは、ルパンソウルを返そうとするメルトに「諦めない気持ちを見せて貰ったお礼に」ルパンソウルを持っていてくれと言った。アスナから玉手箱をもらうシーンともども、本編入れても屈指の、素直で和やかな他者との交流シーン。
そうやって「絶対アルセーヌを取り戻す」って気持ちを新たにしたんだろうな。
それは、スタッフさん的には、これからもVSは延々と続くよっていう宣言なのか、それとも近いうちに決着をつけるという匂わせなのか、現時点ではわからない。ただ少なくとも希望は繫がった。
願いの結末が描かれなければ、ノエルはこのままずっと死者蘇生という、倫理的に賛否分かれる願いに取りつかれ続けることになり、怪盗達3人もその願いにずっと縛られて、名前を隠し大事な人と距離を置いた生活を続けていくことになる。
私はそれが辛いので、ぜひスピンオフで決着をお願いしたいと言い続けてきた。
また、使命のため騎士竜達の命を諦めるのが正しいのかと悩むコウに魁利が言った
「正しくないからって諦められるのかよ?」
という言葉にもし「諦めなくたっていいじゃないか」というスタッフさんの思いが込められているとすれば、<アルセーヌ・ルパンを蘇生させること>も諦めなくていいことの中に含まれているんだろうか?そのあたり、スタッフさんがどう思っているのかも知りたい。
けど、それが叶うか否かは今回の映画の入りと、先日受付終了したメモリアルセットの受注状況次第なんだろうか?
■新型コロナウイルスの流行で
それを思うと、今回の映画の出来がいいと思うだけに、新型コロナウィルスの流行が客足のブレーキになってしまったのが恨めしい。
せっかく劇場版復活したのに、まさかジュウオウVSニンニンの時の大雪より厄介な敵がいるとは思わなかった(泣)。
今回ばかりはいろんなご家庭の事情があるから「お願いだから見に行って」とは言えなかったよ。
こんな時小さな子の親より過敏になる生き物はいないだろうし、たとえ子供は軽症と言われても自分が感染したら育児出来る人がいなくなるかもしれない。高齢者が身近にいたら自分が感染源になるわけにはいかないと尚更慎重にならざるを得ない人もいるはず。
さすがにこの影響は東映も考慮するだろうけど、ルパパトのスピンオフやるやらないの指標になるかもしれないと思うともどかしい。
一方で、世間にいろんな影響が出てきて、大規模イベントも次々自粛、全国の学校も休み、北海道では緊急事態宣言なんていう大変な最中なのにこんなことを長々書いてる場合か?って頭をよぎりまくったりもする。
今後しばらく制作の現場は、下手すると東日本大震災が直撃したゴーカイジャーよりキツくなって、レギュラー放送で今まで当たり前に撮影できた場面を成立させるだけでも大変かもしれないのに。
■私の中の駄々っ子
ただ、当面は余計なことに割くリソースはなく、レギュラー作品に全力投球せざるを得ない状況だとしても、いつかこの状況が収束したら、それも遠くない未来に、なんとかスピンオフを作ってほしいという気持ちは変わらず持ち続けている。
なんでここまでしつこく願うか、の理由はこれまでも過去記事で棚卸したりしてるんだけど、そのほかにそもそも私はこの作品が、
一年間VSを貫く中で生じた様々な歪みやテコ入れのキャラクター面でのしわ寄せを全部追加戦士に押し付けて、ある程度は後輩戦隊とのVSの舞台を借りて埋め合わせ出来たものの、最後はこれからもVSを続けるための舞台装置として死者蘇生という倫理的に賛否分かれる願いを永遠に背負わせたまま
で終わってしまうのが嫌なのかもしれない。
そんなのいくら他のファンがそれで良いって言ったってギャラクシー賞も獲ったって、私の好きな宇都宮戦隊じゃないやい!
香村脚本じゃないやい(ジタバタ)!
っていう私の中の駄々っ子の勝手な思い込みと我儘に突き動かされて。
まあスタッフさんの苦労はギャラクシー賞月間賞という形で評価され報われてるからどこかで安心して言いたい放題書いてきたってのもあるのかもだけど。
もちろん今はこんな世の中だから、目の前のお仕事を無事に完遂下さること、かつ健康でいて下さることが最優先なのは当たり前のこと。
どうかどうか皆さんご自愛下さい。
ノエル以外の全体的な感想については↓で。
リュウソウジャーVSルパパト 感想1(ノエル以外・ネタバレあり長文)
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2020/02/15/233831