ルパパト: 改めて続編希望~ノエルの願いに望むこと~
ルパパトの最終回から早くも1年半以上経ってしまい、その間に次のリュウソウジャーは完結しその次のキラメイジャーも折り返し地点。
でも最終回後の続編、スピンオフを望む気持ちは変わらず、むしろキラメイジャーの追加戦士近辺の描写を見て更に強くなってしまっている。
新型コロナの影響で撮影自体大変なはずのところ心苦しくはあるけど、逆にだからこそこの状況でも需要はまだあると訴えたい気持ちもある。
続編で核として描いて欲しい物は、1年間以上あれこれ考えているうちに、私の中で主に以下の3つに整理された。
・テコ入れでたくさんしわ寄せを食った警察官ノエルの名誉回復
・ノエルが実はルパン家の者であり、でも平和を望んで警察に協力しビークルを「本心から」送付したとパトレンが知る展開
・ノエルの願いの結末
で、これまでブログでさんざん言ってきたことと重なる部分もあるけれど、今回はキラメイジャーの描写との比較をきっかけに、3つの願いのうちの3番目
・ノエルの願いの結末
について、いろいろ思うことがあり、この機会に改めて吐き出させてほしい。
■宝路と比べてしまう
キラメイジャーのことは毎週感想にも書いているとおり楽しませて貰っている。
ただ、追加戦士が登場すると、楽しみな反面どうしてもノエルの扱いと比べて辛い気持ちになることが続いていた。
特に今年は宝探しや戦う力の根源に近い所の出身といったノエルと重なる要素が目に付いただけに、余計に宝路の扱いが羨ましく思えることが多い。
具体的に何が、というのは結構たくさんあって(笑)ここで列挙すると散漫になりそうなので控えるけれど、1つだけ。
■復活を願わない
宝路は「全部集めればどんな願いも叶う」というルパンコレクションと寸分違わぬ謳い文句のカナエマストーンを集めていた。
でも叶えたい願いはガルザに殺された義父オラディン王の蘇生ではなく、今生きているマブシーナを死の呪いから救うこと。
カナエマストーンの1つ、リバーシアを使うことで全部揃えなくてもそれを叶えた後、宝路は最新25話で次の願いをクリスタリア復興に定め、そのためにカナエマストーンの残りの2つを集めようと決意した。
この時宝路は、復興が叶ったらマブシーナが女王だと彼女に告げている。つまりカナエマストーンで叶える事の中に、またしてもオラディン王の復活は含まれていない。ルパンコレクションと同じくどんな願いも叶うと言うのに。
私はそれを見ながら、やっぱり死者蘇生というのは、死亡直後以外叶えてはいけないものと東映は考えているのでは?と思わずにいられなかった。
東映が過去に作った特撮作品でも、ヒーローが死者に固執する人を間違ってると諭し導くエピソードを幾つも見てきたこともあったから余計に。
■なぜ死者なのか
戦隊シリーズで、親にあたるような大事な人を殺され、でも生き返らせようとするのではなく、それを乗り越えている人は珍しくない。
前年のリュウソウジャーの赤青桃もそうだし、今年のキラメイジャーの宝路とマブシーナの兄妹だってそうだ。
視聴者の中にも、死者蘇生を倫理的に認めない人は珍しくない。親は蘇生してまで取り戻す対象ではないという人も。
私自身にも、それに近い気持ちがないわけではなく、だから「なんで取り戻したい人を死者にしちゃったんだろう」と割り切れない思いも正直なところある。
ノエルの願いの結末を描かずに終わったのは、叶えてしまうと倫理的に問題があるが叶わないのは可哀想なのでぼかし、想像に任せたからなんだ、という解釈も見かける。
でも、もしそうなら叶えてしまうと問題のある願いをノエルにずっと背負わせたまま放置して終わるのはOKなの?と問いただしたくもなってしまう。
更に、もし描かないけどノエルはきっと願いを叶えるので想像してください、というつもりだったというのなら、大事な人は死者じゃなく例えば龍騎の蓮の恋人みたいに植物人間でも良かったのでは?とも。
なぜアルセーヌを死者にしたんだろう?
そんな疑問が沸く中でついつい、VS続行endで終わらせてそれを肯定的に受け止めてほしいから、ノエルの間違った願いなんか叶わなくてもいいと思って欲しくて死者にしたんじゃないの?という考えが浮かんでしまうのが嫌だ。
いや死者を蘇らせたいのはノエルだけじゃない。快盗たちだって自分の願いとして捉えている。願いは1つだ。
そう言われても、元を正せばやっぱりノエルの大事な人だからで、結局ノエルの願いが快盗達を縛り付けているという構図が苦痛。
なんでノエルは快盗達のように願いを叶えることも、他の戦隊の戦士達のように大事な人の死を乗り越える事も許されないままなんだろう?と思ってしまう。
■配慮の差
更に言うと快盗達3人の大事な人の場合は、兄・婚約者・親友という属性だけでなく、それぞれ、喧嘩分かれ・自分の遅刻・自分の身代わり、という負い目を感情移入&説得力ポイントとして用意し、見せ方を念入りに配慮していたと思う。
それに比べるとノエルは、その手のエピソードどころかそもそも会話シーンすらない。
生死不明だった3人とは違い明確な死者を蘇生させたいという倫理的に賛否分かれる願いを今も背負い、その願いに快盗3人を縛り付けて「ノエルが死人にいつまでも固執するせいで快盗たちは幸せになれない」と言われかねないのに、ちょっと配慮に差がありすぎやしませんかね?とも思ってしまう。
そこに、ノエルの見せ方への無配慮か、逆に良く見えなくていい同情もいらないという冷たい配慮の可能性すら感じてしまうのが嫌だ。
最終回で東映公式が言った
「VSが永遠に続くことを心から望みますごめんノエルとコグレさん」
を
「VSが永久に続いてほしいから悪いけど永久に間違った願いを叶わないまま持ち続けくれ」
と頭の中で変換してしまう自分が嫌だよ。
■解放して欲しい
ノエルに対するそういう扱いの上に成り立っているVS続行endが尊いとは、ごめん私には思えなくて、コロナで大変なのはわかるけどそれでも今のノエルのあり方を考え直してほしいと思う気持ちがより強くなっている。
もうスピンオフでノエルを解放してほしいと。
もっとも振り返ってみると、そもそもルパパト44話で、ノエルの取り戻したい人がアルセーヌ・ルパンであり、恩人かつ親代わりのような存在で殺されている、という事を知ってから、私自身ずっとどこかモヤモヤしていた、というのもあるのかもしれない。
■ノエルの願いに望むこと
だから、欲を言えばノエルの願いに「親にあたる人を取り戻す」以外の理由があればいいな、なんてことも思ったりする。例えばこんな感じ。
「僕はアルセーヌ・ルパンを取り戻したい。だけどそれだけじゃない。
圭一郎君とつかささんの大事な仲間だった東雲悟君も取り戻してあげたい。ギャングラーのせいで命を落とした人達も全部。
ギャングラーの悪事にルパンコレクションが使われてしまったのならルパンコレクションの力でそれを償いたい。
死者の復活が神に逆らう行為だとしても構わない」
私は、これならノエルの願いを全力で支持出来るかもと思った。
ジムやティラミーゴにも「くん」を付けるノエルは自分が人外だからってのもあるだろうけど、人間か否かの分け隔てをしないというかたぶん出来ない。
グッドストライカー以外のコレクションにも道具とかアルセーヌ・ルパンの肩身とか以上の気持ちを持ってるとしたら、それらがギャングラーの悪事に加担させられている状態はたぶん許せないだろうなと思うし。
私は今のところ、ノエルの願いにきちんと決着をつけてくれるなら、願いが叶っても叶わなくても受け入れると思う。
ただもう一つ欲を言えば、魁利達の願いが叶う事が氷漬けにされていた他の多くの人々を結果的に救ったように、ノエルの願いも、アルセーヌ・ルパン以外の、例えば悟などギャングラーに命を奪われた他の人々にとっても何かの救いになるような形にして貰えないだろうか、とも願う。
ノエルからルパパトという番組への「貸し」はまだそのくらい残っている計算だから(まだ言ってる)。
■生きていたという選択肢
一方で、キラメイジャーで死んだと思われていたマブシーナの母、マバユイネ王妃が生きていた、という展開を見たもんで、これも羨ましい気持ちが芽生え、そういう展開の余地はないのかも考えてしまっている(笑)。
アルセーヌも死ぬ直前にどこかに魂を移していたとかないの?例えばルパンコレクションのどれかにとか。そんなコレクションがあっても良さそうだけど。
ある日突然エックスチェンジャーからアルセーヌの声が聞こえてくる。
「久しぶりだね、ノエル。コレクションを取り返してくれたんだね。ありがとう。頑張ってくれたんだね」
とか、いきなりそんな他愛ないハッピーエンドを思い描いてしまうくらい、私は勝手にいろいろ空回りして疲れているのかもしれない(笑)。
でも死者蘇生という願いは賛否分かれるから、きっと叶っても叶わなくても受け入れられないファンが出てしまうんでは?という懸念もあって。
だからと言って今のままの状態が延々続くのは私がもう耐えられない(汗)。
だからいっそ、
「アルセーヌも本当は生きていた。ただし助けるには何らかの手順が必要で、そのために快盗も警察も協力して叶えた」
ってのが、ベタだけどわりとたくさんの人が幸せにならないだろうか?
なんて捕らぬ狸の皮算用をしたくなってしまっている。
コロナで大変なところ心苦しいけどそれでもやっぱり、続編待ってます。