ルパパト: リュウソウジャーVSでの立ち位置とか、取り外し可能な信念?とか
リュウソウジャーVSルパパト、やるのかな?
もしやるとしたらルパパトキュウの撮影が秋だったそうなので、もう脚本とか出来てるのかな?と思うと、つい1ヶ月前に心配事を吐き出したばかりだけど、またあれこれ考えてしまって。前回公式完全読本の感想書くときに考えたことも合わせて、もうちょっと吐き出しておきたい。
主に最終回のノエルの見せ方について、過去記事と重なったり今さらな部分もあるけどご容赦を。
■最終回とFLTの見せ方
最終回はギャングラーの持つコレクションが全て回収され、残るは警察の装備だけと快盗が奪おうとし、両戦隊がOPのバトルをなぞるように戦ったままVS続行の形で終わった。
そのバトルに加わらないノエルはその頃、
「私もどうしてもコレクションを全部集めたいんです」
と言い切るコグレと宝物庫で笑い合っていた。
魁利達を助けた勝利達はお役御免ということは、魁利達がルパン家の願いを叶えるための活動を再開したと把握しているとも受け取れる。
だからタイミング的には、快盗が警察と装備を巡って戦うのを笑って受け入れているという見方も出来てしまったと思う。
実際に「所詮は信頼出来ない人外なんだとむしろ納得した」って意見も複数見かけて、否定するだけの根拠も見えずもやもやしたんだよね。
でもFLTでは、ノエルはギャングラーがいる限り警察の装備に手を出す気はなく、快盗もノエルの意思を尊重し、むしろ平和な日が早く来るように自分達もギャングラー退治に乗り出すことにして、警察もそれを黙認するというラストだった。
快盗達の心を縛り付けてるのは変わらないけど、結果的にノエル個人の願いだけでなく、平和のために戦う警察を助けることにも繫がっていくし、それは来日する時にノエルが思い描いていた共闘の形にも重なるかもしれない。
私は遅れて円盤でそれを見て、最終回のノエルが両戦隊の争いを煽ってるともとれる見方を払拭することが出来てほっとした。
■避けたい対比
でもリュウソウVSルパパトをやる場合は最終回とFLTのどっちの立ち位置を採用するんだろう?
と言っても私の本当の第一希望は、
ルパパト: リュウソウジャーVSに向けての心配
https://kiuix.hatenablog.com/entry/2019/08/25/002557
でも書いたように、リュウソウVSの前にスピンオフでノエルの願いの決着をつけて欲しいと思ってる。それが叶わない場合の話。
ただもう現時点で何の動きも見えない中、残り時間を考えると叶わない可能性の方が高いと思うしかないんだろな(泣)。
本編に忠実なら最終回の方だけど、私は断然FLTの方をお願いしたい。
最終回でのこの「警察の装備を狙う快盗とそれを笑って受け入れるノエル」という見え方は、警察官でもあるノエルの平和への思いとは矛盾するものだし、それだけじゃなく、リュウソウVSの中で
大事なアルセーヌを失ったノエルは、生き返らせようとして、平和のために戦っている警察から装備を奪おうと快盗を差し向ける。
大事なマスターを失ったリュウソウジャーの赤青桃は、生き返らせようとは思わずに平和のために戦っている。
っていうノエルとリュウソウジャーのえげつない対比になってしまいそうで、それが凄く嫌なんだよね。
死者蘇生の願いのために快盗達3人の人生を縛っている、というだけでもリュウソウジャー赤青桃と比べるとどうなの?って微妙に思えてしまうのに。
それにもし制作陣も、メインライターが書いたFLTの終わり方を現時点での最終的な関係の形だと考えているなら尚更、快盗と警察が戦うのはノエルの本意ではないのが公式見解ってことになるのではと思うから。
リュウソウVSルパパトがもしあるとしたら、制作はリュウソウのスタッフがメインになるけど、脚本を書く人がFLTを見るなり、そういう話をルパパトスタッフから聞けて配慮できる人ならいいなと思った。
例えばどっちも書いてて経験豊富な荒川さんとか。ルパパトキュウでノエルが警察の装備を奪おうとした描写は、本編でノエルを書いたことがない上に宇都宮PがGOサイン出したんだから仕方ないと思うし。
■平和への思いは取り外し可能?
でも、FLTを見てない人の中には
「ノエルはコレクションが全部集まったらもう警察は用済みなんだな」
と今でも冷ややかに見てる人がいるのはネットで目撃しちゃったんだよね。
自分の見ていない別媒体で最終回とは全く違う立ち位置を示されたからそっちが公式見解だと言われても、受け入れられない人もそりゃいるよなとは思う。
VS続行を優先してOPのバトルと同じ快盗と警察が銃を向け合うラストに拘ったため、OPにいないためか戦闘から外したノエルの見せ方の優先順位が下がり、かつキャラであるよりVS続行の舞台装置として扱われた。
その結果、またしても「警察官としての平和への思い」っていうキャラの核の半分への配慮が欠けてしまったってことなのかな?
それともそう見えることは想定出来たとしてもVS続行で終わる形を優先したということ?
どっちにしてもいつもいつも、ノエルのその部分にしわ寄せが行く。
・終盤まで警察に信用されない方がいいとの制作側の意向から警察への貢献の描写は抑えられる
・戦力部隊にビークルを送った真意はぼかされたまま
・共闘を望んだはずなのに警察の追加ビークル入手を妨害
・ルパパトキュウではコグレとの小芝居で警察が装備を手放すよう仕向ける
・最終回の(以下略)
テコ入れでやむを得ない部分もあったのはわかる。
でも最終回やルパパトキュウもだと、スタッフさんにとってノエルの平和への思いは所詮、気をつけていないと抜け落ちてしまうか、状況に応じて取り外し可能な程度の要素で、むしろその方が物語作りに都合が良いのかとすら思えてきてしまう。
なら、他戦隊のスタッフにちゃんとやってと求めるのは望みすぎかもだけど(汗)。
でも見る側は、29話や32話で
「快盗も警察もどっちも必要」
「願いも平和もどっちも大事」
と真剣に宣言されたらそういうキャラのはずだという目で見るし、それで言ってることとやってる事が違えばもやもやするよ。だからその時点である意味最もバランスに気をつけて描かれるべきキャラになっていたんではなかったの?
実際には皮肉なことに宣言した前後から、テコ入れの調整弁としてキャラクター描写の面でのしわ寄せを一手に引き受け快盗贔屓に修正されてしまったから、「言ってることとやってることが違う」と、最初から快盗贔屓のキャラとして打ち出すより却って厳しい目で見られてしまったのかもだけど。
■何度目かのスピンオフ希望
番組の都合で仕方なかったというなら私から見ると、それはノエルから番組への「貸し」。
もう何度もここで願っていることだけど、これまで番組の都合でさんざん割を食った分まで、警察官としてのノエルの平和への思いをちゃんと、本編と同じ映像作品としてノエルのスピンオフで見せることでノエルに借りを返して欲しい。