仮面ライダーゼロワン45話(最終回)感想: 人間に都合の良い自我
※今回も基本的にはネガです。
或人と滅の最終決戦は映像は格好良いし役者さんも熱演なんだけど、熱くぶつけ合っている台詞が全然腑に落ちなくて困った・・・・。
或人は、決戦前夜にゼア空間で其雄との会話を経て、アークから脱却すべきと頭ではわかっていたけど自力では出来ないので滅に負けてベルトを物理的に破壊してもらうことでそれを果たしたってこと?
でも前回、ゼロツーに変身することを自分で選べたのに、なんでそこまでわかっていて自力でベルトを捨てられないのかわからないから入り込めないよ(汗)。
其雄の言ってることも
「子供の時は無力に悲しむことしか出来なかったけど今は仮面ライダーの力を得て怒ることが出来るようになったのは成長だ」
って、「力を得たために悲しむだけじゃなく悲しみを与えた相手への攻撃が可能となったので怒りを持てるようになった」と言ってるように聞こえちゃうんだけど、それは成長として肯定的に受け止めていいんだろうか?
或人は家族を奪われた悲しみを盛んに訴え滅にも自覚させる。
或人が訴えたのは滅のせいで破壊された其雄とイズのことなのはわかるんだけど、殺されたのではないものの唯一血の繋がってた是之助が亡くなった直後の或人を思い出すと、そんなに悲しんでたようにも思えなくて、戸惑う。
というか本編で或人と是之助の会話シーンが回想含め皆無のままで、この祖父と孫がどんな関係だったかも一切分からないまま終わるとは思わなかった(汗)。
・・・或人は赤ん坊の頃、事故で両親を亡くした際に自分も重傷を負い、是之助が延命のために埋め込んだチップがゼロワンへの変身を可能にしたため装備と会社を継がせた、なんて考察してた時期もあったなあ(遠い目)。
戦いを止めるために唯阿さんが取り急ぎ知能のみ復元した迅は、滅の元に行くのではなくなぜかアズに或人の心境を解説して、2人は大丈夫だと満足して消えた。なので、よく考えると戦いの阻止には何の役にも立ってない(汗)。
何となく、迅に阻止させるわけにもいかないけど、この非常時に不破さん唯阿さん天津はただ手をこまねいていただけじゃないんですよというアリバイ作りがしたかったってだけな気もするんだけど、これで良かったんだろうか(汗)。
滅は自分の行いを悔い、自分に心があることを認めたくなかったけど認めた上で或人を憎いと言い、アークから解放?された或人はゼロツーではなく、ゼア空間から戻った時になぜか生まれたゼロワンドライバーでゼロワンに変身し、滅のベルトを破壊する。
ゼロワンという番組タイトルだから、ゼロツーではなくゼロワンでラストバトルしました、ってことだろうか?姿形は初期フォームと同じでも、戦闘力はアークの影響でパワーアップした滅を倒せるほどだと脳内補完した方がいいのかな?まあ正直このあたりもはや深く考える気力がない・・・。
ただ、イズとの絆で生まれた最終フォーム、ゼロツーの活かし処が相当に少なくなってしまったのは、コロナでの放送休止のしわ寄せではあるものの、やっぱり残念で、そうしてまでゼロワン初期フォームで戦わなきゃいけなかったのかな?とは思う。
番組後半は後日談で、あんな暴動を起こしたヒューマギアがどう沈静化し、人間社会が彼等をどう改めて受け入れ直したのか、ヒューマギアの「自我」が訴えた待遇改善の問題はどうなったのか、さっぱりわからないままヒューマギア事業は拡大することになり、新たな衛星の打ち上げが飛電から報道発表された。
元テロリストで何度も無自覚のまま滅亡迅雷やアークに操られていた雷は、アーク撃破の功績が認められ、きっともう2度と絶対に同じ轍は踏まないだろうとお墨付きをどこからか得たのか、すっかり元の職場に収まっている。
天津はAIBOをいっぱい並べたサウザー課で、地位に拘ることなく職務を果たす決意を語る。
唯阿さんは自分が隊長を務めるエイムズに新人の技術顧問として亡を入隊させ、ヒューマギアに人間と分け隔てなく接することを部下の前で語る。
不破さんは事故を起こした車両の窓ガラスを素手で割って中から怪我人を救出し、「街を守る仮面ライダーバルカン」と名乗る。どうやって収入を得てるんだろう?肉体的にハードなトラブル処理も可能な便利屋さんみたいな感じだろうか?
エイムズも、唯阿さんに対してとは違って、誰も不破さんに戻ってきてくれとは言わないの?不破さんてエイムズではその程度の存在だったの?と思うとちょっとモヤモヤする。
中盤の唯阿さんの扱いがあまりにあんまりだったためにそちらのフォローを厚めにするのを優先した、という感じだろうか?
ただ、その結果今度は不破さんが、キャラや行動原理の核だった過去が捏造だったことも相まって、なんだかふんわり曖昧な立ち位置で終わってしまった感じでもどかしい。
滅はデイブレイクや滅亡迅雷の数々の破壊活動の主犯的な立場だけど、改心して破壊も拘束も不要と判断されたみたい(汗)。
戦いのダメージを修復ついでにモジュールが迅とお揃いの新型になり、以前の引き剥がしたようなモジュール跡の破損を覆うヘアバンドは外された。それが改心の象徴ということかな?
見た感じ誰にも監視されることなく自由で、街に再び悪意が生まれないか自発的に監視しているっぽい。復元された迅に「お父さん」と呼ばれて満更でもない感じ。
ところで迅を最新型で復元したのはザイア本社ということは、滅を修復したのもザイア本社だろうか?それともその技術を子会社の飛電に展開して飛電が修復したんだろうか?
その最新型モジュールは迅と滅専用なのか、これから作るヒューマギアに採用されるのかは気にな・・らないかな。終わってみるとザイア本社と与多垣さんは物語を畳むために迅復活と天津の処分という役割を担っただけの超ワンポイントリリーフって感じで、あまりいろいろ考えても仕方ない気がする。
或人は破壊されたイズそっくりの秘書型ヒューマギアを復元し、同じ名前を付け、同じキャラクターになるようにこれまでの思い出をラーニングさせ、育てて行くと力強く宣言する。
これをどう受け止めていいかわからない。
イズを取り戻したい気持ちはわかるものの、イズのバックアップデータを使って復元するわけではなくて、全く新しい個体。もしいずれシンギュラリティを起こしたとしても、生まれるのは全く新しい自我。
その自我は、或人がひたすら自分に 先代のコピーになれと望んでいることに疑問や悲しみを持たないだろうか?そんなものが生まれる余地もないよう完璧に育てるつもりなのかもだけど。
ラストにわざわざ伊藤英明という大物俳優を持って来てアズの手で新たな悪のライダーを誕生させたからには、12月に公開予定の映画に繋げる気満々だとは思う。
ゼロワンの映画であるからにはイズという存在は欠かせないだろうし、身代わりとしてではなく2代目イズ自身の新たな自我を認める展開にする可能性もあるわけだけれど、本編の完結という意味ではどうなの?と思ってしまう。
それにヒューマギア自身の心を尊重すると言いつつ、実際にはラーニングされた職能の範囲の夢しか認めず、それを正解としている番組の倫理観では、「人間に都合の良い自我を持つべき」が結局は正解なのかな?と思うとあまり期待してはいけないのかな?とも思ってしまう。
思い返せば2話の新しいマモル、3話の新しい一貫ニギローもマギア化して破壊された先代とは別個体だけど、或人はそれに思いを馳せる様子もなくニコニコ見ていてギャグもかましていた。
結局、或人の意識はそこから変わっていなかったってことだろうか?。
途中からバックアップデータがあれば以前の自我も復元可能になったりもして、「ヒューマギアが自我(心)を持つこと」を番組の重大テーマにしている割に、その自我に対して或人がどう考えているか、の描き方が曖昧かつ歪んだまま、それを何となくその場その場で正解にしてきてしまったって感じ。
滅の人類滅亡の夢やヒューマギアたちの自我が起こしたデモに、或人が正面から向き合う展開があれば違ったかもだけど、前回も書いたように、主人公の大事な存在の喪失のショックが盾になり、結局、或人はそれらに、誠実に向き合わずに済ませてしまったんだな、と思う。個人的にそれが一番残念かも。
これでゼロワンの物語は終わり。
元々、仮面ライダーは販促が戦隊よりずっとえげつないから、どうしてもストーリーがそれに影響されてしまうのはわかってた。だから最初は感想書こうか迷ったし、書き始めてからもあまり細かいことに引っかかったりしないようにしようと思っていたけど、なんというか、お仕事5番勝負あたりからどんどんストレスがキツくなって、終盤は完全にネガ入ってしまったのは心苦しくもある。
なんとか完走したものの、こういう状態で感想書き続けるのが自分には良いことなのか?って迷う部分もあったりして。
なので、来週から始まる仮面ライダーセイバーはどうしようかな、また最初は様子見かも?と迷ってる。