ルパパト: 会いたい人に会えないままでも~ホナミちゃんとノエルの違いとか、また死者蘇生のこととか(タイムレンジャーネタバレあり)~
タイムレンジャーを最終回まで見終わって、ずっと考えてる。
もしリアルタイムで見ていたら、そして今の時代のように当時もライダーでこれだけスピンオフが作られたりして、本編終了後もそうやって続編が出来ると知っていたら、「スピンオフでホナミちゃんをドモンと再会させてあげて!」って言い続けてただろうか?って。
というのは、ルパパトの最終回以降、ノエルのスピンオフをしつこく願い続けてるもんだから。
もっともノエルのスピンオフを願う理由は一つや二つじゃなくて、以前洗い出して羅列してみたことがあるくらいなんで、そもそも比較するのは間違いかもしれないけど、今回は「会いたい人に会えないまま」っていう共通点に的を絞って考えてみた。
タイムレンジャーやゴーカイジャーを見てない人にはネタバレになっちゃうのでご注意を。
■ホナミちゃんの場合
タイムレンジャーのラストは21世紀の大消滅を食い止めて1年後。
ホナミちゃんはドモンとの間に出来た赤ちゃんを独りで育てている。恐らくドモンはホナミちゃんが自分の子供を宿したことを知らないまま31世紀に帰ってしまった。
そんなの可哀相だよ。特にホナミちゃんは未婚の母という思いっきり茨の道を歩いてるわけだし、親子3人会わせてあげようよ。
そう願ってもおかしくない。
実際、ゴーカイジャー40話でドモンが2010年時点のホナミちゃん母子と写真という形で再会を果たした時に、涙した人は多かったと思う。私も当時、タイムレンジャーを見ていなくてもうるっと来たもの。
だから、最終回を見終わって暫くはきっとスピンオフ希望って言ってたかもしれないなとは思う。
でも私がこのブログでずっとノエルのスピンオフをと言い続けているほど、しつこく何ヶ月も言い続けたりはしないだろうなとも確信している。
たぶんだけど、ホナミちゃんはもしドモンにもう一度会えるなら絶対会いたいだろうけど、とっくに自分の中で独りで育てる覚悟をして前向きに生きているからかな。
ドモンに会いたくてたまらない、ドモン無しではダメ、みたいな感じには見えない。そして二人は永遠に会えなくても、それぞれの時代できっと元気に生きていると思えるから。
■ノエルの場合
ノエルの願いには、再会したいという気持ちの他に「アルセーヌを死から救いたい」っていう、ホナミちゃんとは別の形の切実な動機がある。
そしてそれはノエルが、既に死んでしまったアルセーヌに固執しているってことでもあって、その事に自分が縛られてるだけでなく、快盗3人の人生も縛った状態で物語を終えた。
会いたい人に会えない状態は同じでもそこが違い、そんなノエルの状態がずっと続くと思うのが辛いんだと思う。
だから、
「ホナミちゃんみたいに会えないまま終わる作劇もあるんだからノエルだってありでしょ」
とはならないし、ましてや10yearsもしくはゴーカイジャー40話みたいに10年以上経って他の番組の中で、なんてことになったら個人的にはそこまで放置された悲しさと痛みが先に来てしまうと思う。
■過去に囚われた人
ルパパトが始まる時に、香村さんは快盗達を「過去に囚われた人達」、警察を「未来を見ている人達」と対比して語った。
ザミーゴにさらわれた人達は終盤まで生死不明のままで、凍らされて砕け散って消える見せ方やザミーゴが販売している化けの皮と結びつけて、生存については絶望的と考えることも出来た。その場合、快盗達は確かに死者を取り戻そうと過去に囚われていることになる。
でも実際には大事な人達は生きていて助け出すことか出来た。
こうなると快盗達を「過去に囚われた人達」と言うのはちょっと違和感もある。過去に囚われずに未来を見る事は、まだ生きているさらわれた人達を見捨ててしまうことになりかねないから。
一方アルセーヌは明確に死亡しているから、彼を蘇生したいノエルは過去に囚われていると言っていいと思う。
もっとも、ノエルには「未来を見ている人達」である警察と同じく平和を望む気持ちもあり、二つの願いの共存がノエルというキャラの核でもあるから、過去だけを向いているわけでもない。
ただし平和への思いはしばしば制作側の都合で取り外し可能になってる疑惑もあり(汗)、劇中では快盗寄り=過去志向のイメージが強かったという見方も出来てしまっていると思う。
更にノエルの願いが叶わないままでいるということは同時にその期間中ずっと、叶うまで付き合うつもりでいる快盗達3人の人生を縛り続けていることにもなる。
そんなノエルの状態は、大事な人との死別を乗り越えていることが珍しくない他の戦隊のキャラクターと比べてしまうと、個人的には微妙に思えてしまうのがね・・・・。
そもそも、戦隊のドラマの中でこういう願いとか固執とかって、通常は最終回までに解決したり乗り越えたりするもんじゃなかったっけ?
■平成仮面ライダーの敵ボスみたいな
死者蘇生って、ニチアサの番組での扱いは、例えば1度死んだ戦士が直後に魔法や人智を超えた力や本人の強靱な意志や執念等で蘇る事はあるけれど、何年も前に亡くなった大事な人を蘇らせようとするのって、どちらかというと仮面ライダーの敵ボスの最終目的って感じで、同情や感情移入は出来るけど、劇中でそれが肯定的に扱われたことも成功したことも記憶にない気がする。大抵はそれに人的被害等の代償が伴うことも多いからってのもあるけど。
実はスタッフが被ってる仮面ライダーウィザードがその筆頭だったりもするし。
だから、そもそもルパパトのスタッフさんはどういうつもりでアルセーヌを死者にしたのかな?って思ってしまうんだよね。
もちろん、原作での活躍時期を考えれば人間の寿命的にはもう故人なのが当たり前な人物ではあるんだけど、超長生きの人外として、実は最近まで生きていた設定にしてまで。
「死者を生き返らせたいと思って突き進むことだって、子供たちに見せる番組のヒーローとしても間違っていないよ。生き返らせていいんだよ。ノエルはそうやって幸せになっていいんだよ」
って思いながらノエルにそういう願いを付加したのか。
それとも。
快盗達の大事な人のようにアルセーヌが実は生きていて救出が必要な状態なら、何年かかろうが助けなければとノエルが思うのは当然。でもVS続行で終わるにはアルセーヌを取り戻すわけにはいかない。生きているのに取り戻せないままで終わるのは番組的に収まりが悪い。もう死んでいる方が格好はつく。
みたいな感じで、VS続行のために、平成ライダーなら敵ボスの目的になりそうな願いをノエルに背負わせて、快盗3人を心理的に拘束させた状態で放置したのか。
って考えた時に、これまでの扱いを思うと後者だったのでは?その場合そこにノエルがどう見えるかという配慮はあったのかな?という思いが拭いきれなくて。
■何度目かのお願い
死者蘇生の是非って、番組によっても見ている側の倫理観によっても意見が分かれるデリケートなものだと思う。
もしかしたら、だからこそ番組の中では白黒つけずに終わったのかもだけど、個人的にはそういう取り扱い注意なものを敵ボスではなくヒーローの一人に永遠に背負わせて宙ぶらりんのまま放置するのはやめてほしい。
私が地縛霊化したノエルファンだからナーバスになってそう思ってるだけかもしれないけど、以前からそういうもやもやした思いはあって、リュウソウジャー赤青桃やホナミちゃんなんかと比較して微妙な気持ちになるのを繰り返しているうちに、だんだん自分の中で強くなってきてる。
それも「敢えて問う」という志よりも「VS続行に都合が良いから」っていう舞台装置的な意味合いを強く感じてしまう状態では尚更なんだよね。
かといって、それぞれの戦隊のファンが見に集まるVSで、後輩戦隊のスタッフさんに扱わせ消化するのも、以前書いたように勘弁して欲しい。
ルパパトのスタッフさんにちゃんと責任持ってケリを付けて欲しいと思う。
これまで何度も理由を変えてしつこくノエルのスピンオフを願い続けてきたけど、さすがに最終回から8ヶ月もたって言い尽くしたかもだし、もう暫くしたらリュウソウジャーVS作られ始めて情報も来るかもだから様子見てみようかなとも思うので、そろそろこういうネガだったり、最後に必ずスピンオフのお願いに持ってくような記事は一旦お終いにしようかなとも思ったりする。
だけど最後に、これまでこのブログで言うのはキツいかなと思ってちょっと気の進まなかった事を言ってみてしまったけど、本当にお願いします。
でも最後にならなかったらごめんなさい(汗)。