キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

ルパパト: コレクションを集める物語だから

ここまで幾つかの理由でノエルのスピンオフを希望する記事を書いてきたけど、今回は

「ルパパトってそもそも、願いを叶えるためにコレクションを集める物語だったから、当然そこまでやってくれると思ってたんだよ~(涙)」

という、なんだかあんまり当たり前で一言で終わっちゃいそうに思えて、意外と改めて言わないできちゃったかな?って事について。

本当は完全公式読本読んでからにしようかと思ってたんだけど、入荷遅れでまだ手元に来てない(汗)。

ネットから漏れ聞こえてくる感想からすると読むのにいろいろ体力気力使いそうな上に、このままFLTの円盤と一緒に来たりしたらいろいろ情緒が大変そうな気がするので今のうちに書いてしまうことにした。

おかげでなかなかまとまらず、いつにも増して読み辛いかも。ご容赦を。

 

■物語の中心にルパンコレクション

「君の願いを叶える方法がある」

「ルパン、コレクション?」

「全て取り戻してくれたら、アルセーヌ・ルパンの子孫である我が主が、君の願いを叶えよう。

コレクションの秘めた力を使えば、どんな願いも叶う。消えた人も取り戻せる」

 

このコグレの誘い文句に一縷の望みをかけて、魁利達は快盗になり、大事な人を取り戻すためにギャングラーと戦ってきた。金庫付きの怪人の場合、怪人を倒すのは警察だの時でも殆どの場合、快盗やノエルがコレクションを奪っている。

 

9話でコレクションが壊されたかと思わせて快盗達の絶望を描き、10話でザミーゴが本格登場し「彼を倒せばルパンコレクションを全部集めなくても大事な人を取り戻せるかも」という可能性は示唆された。

だけど、そこに再び焦点が当たるのは39話以降になる。ザミーゴの出番がかなり抑えめで、特に魁利と再会する事がそれまでず~~っとなかったから。

その間、物語はあくまでコレクション集めが中心だった。

 

追加戦士のノエルが登場してもそれは変わらない。むしろ「僕にも取り戻したい人がいる。だから快盗になったんだ」と、コレクションを集めたいキャラが増えて行動を共にする事で、物語の核として補強されたと思う。

 

■ゲスト怪人の多さ

ルパパトに登場した、金庫のついたゲスト怪人は実験体を含めて39体。

同じ宇都宮・ 香村コンビのジュウオウジャーで製作したゲスト怪人はギフトや1話で倒されたジャグドを含めても27体。

比べるとルパパトはかなり多いのがわかる。

戦闘シーンでは単に怪人を倒すだけでなく、金庫からコレクションを取るアクションも時には必殺技以上の見せ場にしていた。だから最近の戦隊では恒例だった再生怪人を封印し、改造に次ぐ改造を重ねてこれだけの数を出したんじゃないかな。

そういう点でもルパパトは全編通じてコレクションを集める物語、という見方が出来やすかったと思う。

 

■コレクションの謎に圭一郞も着目したけど

32話では、実験体の金庫を開けるには5人必要だからと、圭一郞の協力と快盗達の自首を賭けてノエルと圭一郞が決闘している。「金庫を開けられなければどの道俺達は終わりだ」という理由で快盗達はノエルの提案に乗った。

10話で「ザミーゴは俺達の切り札だ」と、コレクションを集められなかった時の保険にしたはずなのに、それは忘れられてしまったかのよう。

サブライターさんの回だったので抜け落ちたか、それとも決闘に持ち込むために敢えて無視したか、ともかくこの時点ではそれだけ、快盗達の意識も物語の見せ方も「コレクションを全部集めること」に向いていた。

 

そしてその回のラストでは

「コレクションを全部集めると何が起こるんだ?!」

と圭一郞が思い切り謎を煽っている。続く33話でもノエルに「何が起こるんだ?」とわざわざ問いただしていた。

個人的にはここまで印象付けられたら、コレクションを全部集めた結果何が起こるのかは当然やるもんだと思っていたんだよ。

圭一郞もコレクションに対する興味を持ち始めて、これから警察もその謎に踏み込んでいくのかな?と感じたりもしたし。

 

だけど圭一郞は33話以降、コレクションの謎を気にする描写は殆どなかったと思う。38話で装備として入手しようとはしていたり、ルパンマグナムの威力やスーパールパンレッドの能力を目の当たりにして呆然とする場面はあったけれど。

 

今思うと、32話の時点ではまだ、製作側もコレクションを全部集めたら結末までたどり着くつもりだったんじゃないのかな?と思ったりする。

あの時点で既に、何が起こるか描くつもりも一切なかったのに、興味を繋ぐために謎だけ煽った、とまでは思いたくないし。

 

■なぜ願いの結末を描かなかったが

以前別の記事で書いたけど私は、たどり着けなくなった要因には、販売不振のテコ入れの影響があると思っている。

ちょっと長いけど、過去に書いた記事を引用したい。

 

テコ入れで販促が快盗とノエルに傾く中で、ノエルと警察とのバランスや好感度等を考慮した結果、「警察はなぜ戦えていたのか」「自分達の力だけで平和を守れない」という問題に迂闊に触れられなくなったのではないだろうか?

快盗達との時のように段階的にノエルが警察との関係を深めていけば、同時にノエルの抱える秘密にも警察は近づいていく事になる。両者が最終的に本当の仲間になり関係が完成するには、ノエルがルパン家所属を明かしてこそだと個人的には思う。でもそれは同時に圭一郞達と視聴者に「警察はなぜ戦えていたのか」と改めて突き付ける事になる。

当初はむしろ圭一郞達がそれにどう向き合い、最終的にはルパン家の願いに対してどんな答えを出すのか、までをパトレンの後半から終盤にかけての物語の核にしたかったのでは?とも思えている。

けど、テコ入れ後の両戦隊やノエルとの不均衡の中でそれに取り組んで持ちこたえられる体力は今のパトレンにはないから避ける、避け続けるという判断だったんじゃないかな?

そしてルパン家の願いに対するパトレンの最終的なスタンスを打ち出せない状態でルパン家の願いに決着を付ける事は出来ず、それを「VSの継続」という答えにしたんでは?と思う。少なくとも本編では。

 

 

直前の30話でトリガーマシンであるスプラッシュが警察ではなく快盗に渡ったのを見ると、この辺のエピソードにはその影響を受けて変わったものとその時点ではまだ変えるつもりのなかったものが混在している時期だったのかもって思ったりする。

 

■44話はVS続行への足場固め

「アルセーヌ・ルパンの子孫である我が主が、君の願いを叶えよう」

 

この2話のコグレの言葉には嘘があったことが44話で明らかになる。

実際には、主は子孫ではなくアルセーヌ・ルパンその人。異世界の影響を強く受けて超長生き。そしてドグラニオに殺され、今は故人。

「主が願いを叶えてくれる」のではなく、主を取り戻すためにコレクションを集めるのがコグレの悲願だった。

コレクションを全部集めれば本当に願いが叶うのかはわからない。「アルセーヌがコレクションを全部集めて願いを叶えた」というアルセーヌまたはその周囲の者の言葉だけだ。

でもそれを信じてノエルはコレクションを集め、快盗達3人もノエルを本当の仲間として受け入れて「俺達の願いはひとつ」と改めて誓う。

本放送を視ていた時はコレクションを集めるという物語の本筋を終盤で補強してきたように見えていた。

でも実際は、さすがにこの時点では、ノエルの願いの結末にまでたどり着かない事は決まっていたんだろな。ということは、補強されたのは「最終回後も魁利達はノエルの願いが叶うまで快盗を続ける」っていうVS続行の理由だったんだろね。

 

■宇都宮戦隊の物語の着地

最終回でコレクションを集めきらないまま物語が終わった時に唖然としたのは、ノエルの願いがぶん投げられ、あまりにも報われないと思ったからなのが大きいんだけど、それだけじゃない。

そもそも物語としては構造的にもそこまでやらなきゃダメなんじゃないの?って気持ちもベースにはある。

たぶんそのいくらかはゴーカイジャー等、他の宇都宮P作品のせい。

 

例えばゴーカイジャー。宇宙最大のお宝を手に入れるため地球に立ち寄った海賊達が、34のスーパー戦隊と交流し、お宝を手に入れるのに必要な大いなる力を次々に託され、その積み重ねの結果とお宝とは何か、手に入れられるもの、その代償がはっきり示され、最終決戦と絡めた海賊達の選択が、35番目のスーパー戦隊になる彼らの思いと綺麗に結びついて着地したのには物凄く感動した。

 

ある条件を揃えて死者蘇生っていうと仮面ライダーウィザードも連想してしまう。ウィザードのサバト前後の話は私にはいろんな意味で辛かった作品なんだけど、それでも序盤で提示されたサバトで何が起こるかとその結末は描かれた。

 

私は宇都宮戦隊が好きなんだけど、その理由の一つが物語の着地を綺麗だなと思ってきた事だったのかなと思う。

だから正直、宇都宮P作品なら序盤で謎として大きく打ち出し、途中でも強く印象付けた物語の核に、何らかの決着を付けずに終わる選択肢があると思っていなかった、ってのも大きいかもしれない。

ぶっちゃけ、好きな分だけ自分の思い入れとのズレが受け入れられないっていう、よくあるヤツなんだろか。

 

■改めてノエルのスピンオフ希望

上で書いたように、決着を付けなかった理由はテコ入れの影響もあるんじゃないかなと思うので、本編では仕方なかったのかなと思う。

でも、であればやっぱりノエルのスピンオフでちゃんと描いて欲しい、って思う。

これだけ「コレクションを集める物語」なんだと強調されたら、そう思っちゃうよ。それがベースにあるから余計に、ノエルが報われない事が理不尽に思える部分もあるんじゃないかと思うし。

あと、これからは円盤やTTFC一気見する人が増えるから、物語の序盤や32話を視てから最終回見るまでの間隔が詰まって、そこ突っ込む人も増えるんじゃないかとか、余計な心配もしてしまったりもする。

製作が大変なのは、想像するに難くないんだけど。