キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

ルパパト51話追記: VS続行や警察とノエルの描写について思うことを少し

ルパパトが終わって1ヶ月半以上たった。

だけど未だにもやもやした思いを持て余しすぎて、見聞きしたり考えたりすることが溜まっていくばかりで困るのではき出さないといけないかもしれない。

それも1度では無理だな。

この1ヶ月半であれこれ思ったり呟いたりしたことの中から、まずは最終回の51話について、まとめてみる。

 

■あのラストでやむを得なかったんでは?と思うこと

 ルパン家の願いを放置してvs継続という結末は今も受け入れられないんだけど、快盗達の大事な人達が戻ってきたラストには全く文句はない。

と思った時に頭をよぎったのが、もしかして快盗3人の大事な人がザミーゴ倒した事で無事に戻ってくる決着になったのはそのお陰の可能性があるのでは?ということ。

ルパパトは特に30話台で本筋が停滞していたという見方もあると思うけど、仮にそれがテコ入れによる影響で特に警察とノエルの話を進められなくなった影響だったとしたら、本来はどう進める予定だったんだろうか。

もし、ノエルの秘密やスパイ、化けの皮と順調に消化して、コレクションを全部集めてのルパン家の願いの決着までやろうとしていた場合、魁利達をそこに強く巻き込んだ方が盛り上がる。そのために勝利、彩、詩穂は化けの皮にされていて、ザミーゴを倒しただけでは取り戻せなかった可能性もあるのかな?そしてその場合、一度死んだ大事な人達が必ずしも帰ってくる結末になるとは限らないのでは?と。

そう思うとかなり複雑。

 

ルパパトは快盗側が願いを叶えるためにルパンコレクションを集めるというのが物語の太い軸。10話でザミーゴを倒せばコレクションが揃わなくても取り戻せるのでは?という可能性も示されるけれど、その後ザミーゴは39話まで快盗達の前に姿を表さなかった事もあり、約30話に渡ってそこにスポットが当たる事はなかった。

32話で実験体からコレクションを盗るために圭一郎に協力を求めた時も、魁利達はザミーゴを倒すという選択肢などなかったかのように「ノエルが決闘に負けて圭一郎の協力が得られなければどの道終わり」だからと自首する事に合意している。そして32話のラストは圭一郎が「コレクションを集めると何が起こるんだ」と謎を煽る形で次回に続き、次の33話でもその事をノエルに尋ねる印象的な場面がある。

私は普通ここまでスポットを当てれば終盤その辺りをぶん投げるとは思えなかったんだけど、考えてみると初めてテコ入れがハッキリ入ったのが30話で、このあたりはテコ入れ前後のストーリーがかなり錯綜している可能性があるのと、走りながら終盤に向けてどう着地するか考え ていたところなのかも。

 

 ■警察とノエルの役割分担の可能性

 正直な所、最終回でハッキリとは見せなかった「ドグラニオを捕獲拘束して解錠方法を探る」って解決方法にあの場で一番たどり着きやすいのは、快盗でも警察でもあり両取り上等で自分以外の事での諦めが悪く、コレクション知識と台帳の存在を知ってるノエルさんじゃないかなって思う。

でも全体のバランス的にその役までノエルさんに割り振る訳にもいかなかったろうなとも思う。

そうでなくても快盗達を救い出したのが警察ではなかったことに割り切れない思いをしている方も散見するのに。

 

 警察とノエル(ルパン家も)は金庫の中の快盗達を助けたいという点では一致してたはず。

51話の考察でも書いたけど、

 

1年後につかさが以前と違い怪人金庫の中のコレクションの有無を気にしてたこと。

魁利が怪人の持つコレクションは最後と把握していたこと。

警察がこれだけ活躍してもコグレがコレクションを壊される心配をせず全部集める事も諦めてないこと。

 

これらの状況から、警察とノエルは役割分担をした可能性もあるかなと。

死んでも解錠を拒むドグラニオの金庫からの脱出方法があるとすればコレクションの力を借りる他ないから、その方法はコレクション知識のあるノエルに任せる。

その代わりノエルが安心して取り組めるよう怪人のコレクション回収は警察が責任持って代行する。もしかしたら怪人のコレクションの中に救出に役立つ物がある可能性も考慮したのではと。

 

私はノエルさん関連とにかくぼかしまくられてきたと思ってるから、どうしてもこういう散らばった事柄から推理する落ち穂拾いみたいな見方が癖になっちゃってるけど、だからこそ警察だって1年間快盗達のために出来る事してたんだよみたいな、そんな感じのフォローがもう少し分かりやすい形であっても良かったんじゃないかなと思ったりする。

やっぱりぼかし過ぎだよいろいろと。

 

これまでは平和のため怪人撃破最優先で金庫の中のコレクションは無視してきた警察が快盗達の為に平和も守りつつコレクション回収も両方手がけるのはそれなりに大変だったんじゃないかな?

金庫解錠に持ち込む為のフォーメーションなんかの特訓も自分達に課したんじゃないかな?とか妄想してみたりもするんで。

欲を言えばこんな場面が欲しかったかな?

 

ノエル「魁利達を助ける方法は僕に任せて。必ず見つける」

圭一郞「ならお前はそれだけに専念してくれ。コレクションはお前の代わりに俺達が責任持って回収する」

ノエル「いいのかい?平和を守るのとコレクションを集めるのと両方」

圭一郞「お前はそれをやってきたんだろう?」

ノエル「・・・メルシー。頼んだよ」

みたいな。

 

・・・・でもって、パトレンの妄想してたのについついノエルさんが快盗も警察も両方やろうとしたことを誰かに認めて貰える展開を入れ込みたがる(苦笑)。

本編ではそんなの一切なかったけど圭一郞なら分かって貰えるかと思ったんだよね。魁利達を助けたくて一度は警察をやめようと考えた圭一郞なら。

 

 ■ラストのノエルの解釈によぎる不安

 ギャングラーの最後のコレクションを回収した後に快盗が活動するとしたら警察のコレクションを奪う目的しかない。

でも平和も望むノエルがまだギャングラーはいるのに警察の装備を奪う事を望むはずないと思う。

では、「どうしてもコレクションを集めたいんです」というコグレと笑い合う姿をどう解釈すればいいんだろう?それが不安。

ファイナルライブツアーは見に行かないし、ネタバレは避けようかと思っているので、そのあたりが描かれているのか否か、目に入れずに考えているけど。

快盗が警察の装備を奪おうとしてるのを知らないのか?

それとも奪う名目で実は警察を手助けしてるのか?

それとも何もかも承知で、快盗と警察のコレクション争奪戦を自分は表に出ずに背後で見守ってるのか?

最後のは絶対やめて欲しい。

そもそも、私はノエルが魁利達を早く一般人に戻すために、ルパン家にはメリットのないザミーゴ打倒を優先させたと思っているので、それをVS継続のためにコグレだけでなくノエルまでが魁利達が自分達の為に快盗を続けているのをニヤニヤ笑って受け入れる事にすらもやもやしているから。

 

宇都宮Pや香村さんの作品が好きだからこそ引っかかっていることもあるしな。

そもそも死者を生き返らせる事に否定的な印象があったんだけど、アルセーヌを生き返らせる事に抵抗ないんだろうか?ということ。

いつか生き返るといいねと思ってノエルにその願いを持たせたのか。

それとも、本編ではコレクションを集めきらないと決めた時に、叶わなくても倫理的に問題ないむしろ叶ってはいけない願いにするため取り戻したい人を明確な死者とし、

「VS続行のために誤った願いを叶わないまま永遠に持ち続けてね。君達人間じゃないからそのあたりの倫理観が人間と違ってもありだよね?」

みたいな意味の「ごめん、ノエルとコグレさん」だったのか。

そんな考えが周期的によぎってしまって。

もしそんなVS続行なんだとしたら、どんなに他の人から絶賛されようがそこを評価されてのギャラクシー賞だろうが、私は絶対に嫌だなって思う。

あの姿を見て「所詮は信用ならない、人間の感覚とは相容れない人外なんだと納得した」という意見も複数見かけて、仮にも半年以上一緒に戦った追加戦士なのにそう受け取られても仕方ない描写だったんだろうか?と胸が潰れる思いがして。

私にはあの場面、それは違うと言い切れるだけの物が読み取れなかったから余計に、どう解釈するのが正しいのかわからなくなってる。

 だから続編でその答が欲しい。