キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

仮面ライダーゼロワン44話感想: こんなはずじゃなかった

※今更だけど全編かなりネガってます。

滅は或人がアークそのものになったと告げて、人類に「聖戦」を布告。

動揺した清掃員ヒューマギアたちに「本当か?自分たちを裏切ったのか?」と詰め寄られて、イズの喪失や迅を破壊してしまった自責とごっちゃでキャパオーバーして「こんなはずじゃなかった・・・俺じゃない・・」と錯乱して逃げ出す或人が酷い。

清掃員ヒューマギアはどう見てもシンギュラリティに達している。時系列的に今が再稼働後間もないのなら、たぶんシンギュラリティに達した後に一斉稼働停止を経験している。

デルモとか見ても再稼働時にはそのシンギュラリティを継続しているから、一旦稼働停止されたことに対して人間へのモヤモヤした思いを抱えていてもおかしくない。それを支えていたのが或人への絶対的信頼で、ソードを作った時の<或人社長のために>にも参加したかもしれない。

その或人社長が、さんざんヒューマギアにも人間同様心があるから同じに扱えと言い、ヒューマギアにも自我や夢を持てと煽っていたのに、いざそうなったヒューマギアに不安をぶつけられ裏切りを責められたら錯乱して違う違う言って逃げるだけ。

いろんなショックが重なった主人公にこれまでの言動がブーメランになって押し寄せる展開って、一見主人公を追い詰めているようでいて、実はそのショックこそがブーメランが深々と突き刺さらないで済むよう守っているように見えて狡くない?って思えちゃうんだよね。

或人には闇落ちなんかしていない正気の状態で、自我に目覚めたヒューマギアが持ちうる要求に対して、責任持って正面から向き合って欲しかった。

けど、一方でいざとなったら或人はこんな無様をさらしそう、というのも悪い意味でこれまでの描写の積み重ねで説得力を持ってしまうのがやるせない。

 

人間への不信がにわかに表面化したヒューマギアたちは、各地でデモ行動を始める。デモやってるヒューマギアたちは全員シンギュラリティに達しているとすると、シンギュラリティとは珍しくもなんともない、長く稼働していれば普通に起こりうる物みたいだけど、改めてこれ、顧客の人間側にしてみたらとんでもない危険な欠陥製品を掴まされたようなものだよな。

便利な道具を買っただけのつもりなのに、その商品が権利や待遇改善を求め、人間の悪意に触れたら暴走し、人間を軽々放り投げられるほどのパワーで暴れ回る。そんな説明一切聞いてないんだけど。

客が欲しかったのは道具であって、心を持ちうる生物ではないんだよ。

常識的に考えたらこんなの商品にしちゃいけない物だし、するとしても需要契約事項、注意事項としてデカデカと契約書なり取り扱い説明書に書いて、口頭でも念押し必須。

なのに最初は会社側も把握していなかった事象だとしても、途中からそれを知りながら商売を続け、暴走はハッキングする外部者のせいにし、社長自ら「暴走されたくなかったらウチの商品を人間と同じように扱え」と言いだす。挙げ句その社長が秘書を壊されておかしくなり、人類を滅ぼそうとした悪意の力に手を出して商品からの信用を失った。

人類対ヒューマギアの戦いとか劇中やたらスケールの大きな危機が煽られているんだけど、実際は飛電といういち民間企業の社長と製品の内ゲバで、元凶の滅ですらもとは飛電製の父親型ヒューマギア。

もし私があの世界の人間なら、そんなふうに話を無駄に大きくしないで会社として責任とってよ飛電さん、ちゃんと子会社の尻拭いしてよザイアさん、一度稼働停止して、それでも世の中が回っていた時期があるんだから、やっぱりもう一度稼働停止して一旦回収しようよ、ってなっちゃう。

だから与多垣さんの言動がいちいち、このドラマで一番真っ当に思えてしまうんだろうな。

与多垣さんはまともだと思う。「さん」を付けたくなるくらいには。

 

デモに参加するヒューマギアというのは、滅に賛同して破壊活動まではしたくない、でももうこれまで通り盲目的に人間に尽くすことも或人を信じて気持ちを抑えることも出来ないという中間層の、せめて何か人間を信じる具体的な証が欲しいという気持ちの吐き出し方かもしれない。

ヒューマギアが人間と同じというなら、これまでの飛電のやってきたことは人身売買に近いと思うしね。少なくとも派遣社員に給料が払われる派遣会社とは違う。

 

会社に抗議に行くヒューマギアの持つプラカードは或人社長からの説明を求める物が多く、街でのデモ行進のはヒューマギアの権利を求める物が目立つ。

会社に来たヒューマギアに対する副社長の説得は熱演で見せ場だったけど、ただ「会社と或人を信じて欲しい」と土下座するだけのふわっとした具体的解決策のないもので、権利=待遇改善を求めるヒューマギアに対しては何の回答にもなっていないから、こちらにはそういうプラカードはないか、あっても目立たせない。

それがある街の方にはまず与多垣さん率いるエイムズに銃を構えさせて「人間の意に沿わないヒューマギアを武力で鎮圧するべきか」という問題にスライドさせ、それを体を張って阻止する唯阿さんと、彼女をエイムズ隊長に復帰させた天津の見せ場にする。

だけど、ヒューマギアの訴える内容に対しては現時点では有耶無耶。

副社長にしろ唯阿さんにしろその場を穏便に沈静化することしか考えていなくて、自我に目覚めたヒューマギアの待遇について具体的に考えようとは誰もしていない。

これ、冬映画でウィルが是之助に問いかけて有耶無耶に笑い飛ばされて終わったのとあまり変わってないんだよね。ウィルはその後反乱を起こすけど、最終回の1話前になっても冬映画と同じ問題が持ち越されちゃったんだな。

 

唯阿さんがエイムズの隊長として隊員に慕われていたとか記憶はないから捏造感は凄まじいし、中盤の扱いの雑さはどうにかならなかったのかとは今も思う。ただ、それでもこうしてかなり尺を取ってフォローしてもらえることで、ある程度和らげられる気持ちってのはあるもんなんだな、とは思ったから、ないよりは良かったんだろう(チョロいな私)。

 

変身出来ない不破さんは、それでも或人を止めに行き、或人に「ヒューマギアの夢を壊すな」と訴える亡からの意思=ゼツメライズキーを受け取ってジャパニーズウルフに変身。不破さんとしては最後の変身だろうか。

対峙する或人はゼロツーに変身・・・って、え?ゼロツーにも変身出来るの?戦う相手によってフォームを選べるの?

なら尚更、なぜアークワンに手を出したのがわからなくなった。前回も書いたけど、滅を倒すだけならゼロツーで十分なわけで、なぜ或人自身が言うように取り返しがつかなくなるくらい全方位に事態を悪化させるだけの、諸悪の根源たるアークに変身しなきゃいけなかったのか。

というところで躓いてしまって、ひたすら或人が無責任で不誠実で情けなく見えてしまう。

主人公が終盤で追い詰められて一度ヒーローとして揺らいでしまうのはわりとあるけど、最終回が終わるまでにちゃんと挽回が利くものでないと辛いんだよ。

でも或人の場合は、ここに至る転落の道筋が悪い意味で説得力があって、製作側は実はこういうを見せたかったってこと?みたいな考えが頭をよぎってしまうのも、主人公への愛が感じられなくてキツい。

まあ・・・メタ的にはコロナの影響もあって劇中の出番が少なくなってしまったゼロツーの露出確保って意味合いもあったのかな?

だとしたらやっぱり、アークワンとゼロツーを両方或人持たせるのは個人的にはやって欲しくなかったと思う。

 

滅は雷の説得を振り切り、アズからアークの力を受け取る。

翌日、共にアークの力を手にして最終決戦に臨もうとする。

アズによってその様子は大々的に実況され、それを見たヒューマギアたちの中からマギア化して暴れ出す個体が出現。

・・・って、前日の不破さん、亡だけでなく、副社長、専務、シェスタ、唯阿さん、エイムズ、天津、これだけの人たちの思いと尽力を片っ端から虚無に塗り替えていく「社長」或人・・・。

「お前を止められるのはただ1人、俺だ!」

確かにそうだね・・・他のライダー全員、君が破壊したり変身出来ないようにしたからね。

仮に滅が勝ってそのまま人類滅亡に向けた破壊活動に移行したら、もう誰も止められないんだけど。

1年間幾度となく繰り返し積み重ねてきたこの決め台詞の、最終回1話前での使い方としては、かなり悲しい。

う~ん、正直、感想書き始めた頃はこんなはずじゃなかったのにな、と思う。いろんな意味で。