キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

海賊戦隊ゴーカイジャー: 30話感想というか覚え書き

海賊戦隊ゴーカイジャー公式完全読本「豪快演義」から一部参考にしてます。

 

ライブマン

こちらもゴーカイジャー放送当時は未見。香村さんが特に好きな戦隊にタイムレンジャー共々挙げていたので、今年の配信を視聴完走した。

「友よどうしてライブマン」というゴーカイEDの歌詞がシュールで当時話題だったけど、「友よ、君たちはどうして悪魔に魂を売ったのか」というナレーションから始まる元同級生たちとの戦いは終盤に行くに連れて悲愴感を増していき、ライブマン側が手を下さないままに幹部が1人また1人と散っていく怒濤の連続退場劇が恐ろしく悲しい作品だった。

諸悪の根源、大教授ビアスを演じたのが中田譲治さん。私はジュウオウジャー脳筋アザルドの声のイメージが強かったので、正反対の知的さ妖艶さに驚いた。でも衣装やメイク、佇まいがちょっと料理の鉄人の加賀さんを連想してしまってごめんなさい(汗)。

このライブマン回のゲスト怪人ザイエンの声をその中田さんが演じているのは粋な計らいで、もしかしたら後に今回の脚本香村さんの戦隊で敵幹部を演じたのも今回の縁あってかもな、なんて思ったりする。

 

■ザイエン

シド先輩をバリゾーグに改造して殿下に献上した天才科学者。ザイエンがバリゾーグの様子を見に来たことをきっかけに、バリゾーグ量産化計画を殿下が思い付く。

バリゾーグがお気に入りの殿下は産みの親に会えて素直に嬉しそう。両者の関係は良好な感じ。

一方で、同じ技術者としては雲の上の存在がギガントホースを訪れ殿下の覚えも目出度いことがインサーンには面白くない。両者の刺を含んだやりとりが、細かいちょっとした場面だけど面白い。

 

■生まれる前から

ナビィの占いから「スケボーの得意なライオン」=イエローライオンを捜す海賊たち。

ルカと鎧のコンビは珍しい組み合わせ。ルカがスケボーで遊ぶ子供たちに声をかけて鎧が慌てて止めるのはお約束だけど、ライブマンは鎧が生まれる前の戦隊、という事実がなかなかの衝撃(汗)。

ゴーカイジャーが35番目のスーパー戦隊なら20前後の鎧にとってはそんな戦隊があるのも当たり前なんだけど、「その頃私は○歳・・・」とか不意打ちでこちらの年齢を意識させてくるのやめて(汗)。

 

■2人の「じょー」

ジョーとイエローライオン大原丈。

2人の「じょー」は、母親の手を離れて階段を転げ落ちていくベビーカーを上と下から同時に手を伸ばして助け、アイムの「ジョーさん!」に大原丈が自分が呼ばれたと勘違いして反応したことから交流が始まる。

28話のジェットマン回も鎧と凱とで名前被りがあったけど、凱の姿は鎧には見えず、2人の「がい」の交流はなかったのとは対照的。

凱の性格的に鎧と絡ませたり名前被りをネタにするのは相性悪そうでテーマとも合わなそうだから、名前被りは今回だけスポットを当てるやり方で良かったと思う。

何より今回はまるで、ジョーの名前と設定はこの回のために用意されていたのかと思うくらい、交差する2人の「じょー」の物語が劇的にハマって沁みた。

 

なお、ベビーカーを同時に助けるシーンは、ライブマン本編18話の、丈と彼が恋に落ちる女性との出会いのシーンのオマージュだったことを本編見て知り、凄くテンション上がった。

未見状態でも個人的にこのライブマン回はレジェンド回で一番好きだったんだけど、知識が入った今だと以前は何気なく見ていた場面に込められた意味が余計に味わい深い。

 

■大原丈&西村和彦さん

ゴーカイジャーでは、飄々とした余裕ある口調の下に熱さと悔恨を抱えた大人の男性という印象だったから、ライブマン本編ではストレートでがむしゃらな底抜けにお人好しの熱血青年だったことに驚いた。

ゴーカイジャーの香村さんが思う20数年後の丈なんだろう。ちょっとお調子者な所は地続きって感じがする。

演じる西村和彦さんは、若松さんに続いてアクションがキレキレで、「どうなってんだこの年代の戦隊役者さん(汗)?」と圧倒された思い出。

なお西村さんは、ゴーカイジャーのプレミア発表会の時に宇都宮Pに「是非出演したい」と仰って驚かせ、今作のレジェンド重視路線にも大きな影響を与えたとのこと。そのあたりを詳しく紹介している東映公式の記事も素晴らしい(なんかここんとこ毎回紹介しているな・汗)↓。

 

https://www.toei.co.jp/tv/go-kai/story/1196661_1843.html

 

■人間でなくなろうが

ザイエンが落としていったバリゾーグの設計図を見てジョーの心に、シド先輩をバリゾーグから元に戻せるのでは?という希望が湧き上がる。

でも、丈が出した答は、「一度改造されたら元には戻せない。人間としては死んだも同然」。

一縷の望みを絶たれたジョーは激しく落胆しながら、一瞬でも期待してしまった自分自身を嘲るけど、丈はその自嘲を激しく否定する。それまでの軽妙さをかなぐり捨てた西村さんの演技が熱い。

「大事な仲間だったんだろ?だったら人間でなくなろうが敵になろうが、救えるもんなら救ってやりてぇ。悩んで当たり前だろ!足掻いて当たり前だろ!」

本編での丈は、敵幹部になった同級生、中でも尾村豪を人間に戻そうと、裏切られても騙されても殺されかけても真っ直ぐぶつかり続けていった人だった。

元々、丈の台詞だけでもある程度そんな過去は推察出来てグッとくる場面だったけど、ライブマン本編を見た後だと余計に、ただただ説得力しかない。

受ける山田さんも普段抑えめの演技から一点、感情の高ぶりが真に迫っていて、2人の演技のぶつかり合いは何度見返しても、このあたりから頭がか~っとなって涙が出てきてしまう。

 

■好きにさせてやる

ジョーと別れて先にガレオンに戻ったアイムから話を聞いて、マベは「そういうことか」と呟く。11話で自分が身を挺して庇うまでバリゾーグの前で棒立ちだった理由がようやく分かったんだろう。

逆に言うと、そんなジョーのために大怪我を負ったマベには棒立ちの理由を聞く権利が充分あるはずなのに、自分からは敢えて聞き出そうとはしなかったんだね。あくまで話したくないことには踏み込まず、気の済むまでやらせてやろう、という距離感がいい。

そんで4話時点ではまだその距離感を理解出来ずに踏み込もうとしていたアイムが、今度はマベたちと同様に距離をとって見守る側に回り、まだその域に達しない新入り鎧との対比を見せる変化が、細かいけど手堅いな。

 

■学生たちと2羽の蝶

丈は「人間を捨てて地球征服を目論んだ同級生」を救えなかった過去を語る。

「結局、俺たちはあいつらを救ってやる事はできなかった。だから俺はこの学校に戻って、今でも足掻いてるんだよ。若さで突っ走った学生が同じ過ちを繰り返さないようにな」

窓の外を見下ろす丈の視線の先に、もう充分データが取れたと、2羽の蝶を空に解き放つ3人の学生の姿。

 

この場面は渡辺監督が台本にない部分を付け加えたそうで、3人の学生は敵幹部となった剣史、ルイ、豪だと仰っていた。

ライブマンのOP冒頭に、2羽の蝶が剣史に撃ち落とされるシーンがあり、これは1話で剣史に撃ち殺された仲間、卓二と麻理を暗示している。

3人が若さで突っ走って蝶を撃ち落とすのではなく空に解き放つのを丈が見守っていた、という場面を作ることで、「丈の足掻きはちゃんと実を結んでいるんだよ」と暗示しているみたい。

香村さん渾身の脚本にそんな演出で応えているみたいな渡辺監督の思いが沁みる。

上の東映公式の「みどころ」の記事は、

「スタッフ・キャストの思いが一つとなって紡がれた悲しくも美しい物語。海賊版ライブマン編、必見です!」

と結ばれているけれど、手前味噌でも自画自賛でもなく本当にその通りだと思う。

 

■友の魂だけでも

丈の「あいつらの魂だけでも救ってやりたい」という言葉にジョーは反応する。

何をしてもシド先輩は取り戻せない。でも魂だけでも救いたい。なら何をすべきか。

シド先輩は「逃げ続けるか死ぬか」しか選択肢がなくともザンギャックに逆らい正しい道を選んだ。そんな彼の魂にとって、体を改造され剣技を自分の意思に反した形で利用され続けることはどんなにか無念だろう。

だから、バリゾーグを倒してそんな無念から解放し、魂を救う。

更にそこから一歩進んで

「シド先輩の無念。残された者の悲しみ。この悲劇、二度とは繰り返させん!」

って、それはもう通りすがりの海賊じゃなく、個人の悲劇を人々を守るための力に昇華した、紛れもないヒーローの台詞でしかないんだよなあ。30話で、ジョーはここまで来た(涙)。

「俺の手で終わらせる」と決意を込めて1人、ザイエンからの攻撃を剣で薙ぎ払いながらその爆炎に照らされて静かに歩みを進めるジョーが、荘厳で格好良すぎてというかもはや美しくて、狡い。

 

■ザンギャックの損失

ジョーがザイエンをシド先輩の必殺技で倒し、それを無言で見守るバリゾーグの姿を、嘆く殿下が無情に覆い隠し、ザイエンの死に秘かにほくそ笑みながら巨大化ビームを撃つインサーン、という流れが、短いけどいろいろ情報量が多くて好き。

高位な天才科学者という貴重すぎる存在を作戦の実行者として行動隊長みたいに最前線に送って戦死させるとか、殿下は作戦は良いのに脇が甘いんだろな。

12話で皇帝直属の新鋭隊長という重鎮を失ったのに続いてと、辺境の星にすぎない地球征服に注ぎこんだ犠牲が積み上がってだんだん馬鹿にならなくなってきてる。司令官が皇帝の跡取り息子でもあり、ザンギャック本星でもだんだん放置出来ない状況になっているかもしれない。

 

■ジョーの決意

巨大化したザイエンを「もう一度叩き切ってやる!」と言うジョーの激しさに、思わず振り返るマベが印象的。

更に「この私の辞書に敗北の文字は無い」というザイエンにも「ならば今から刻み込む!」とジョーの気迫がもう止まらず、夕陽を浴びた巨大戦の映像も気合い入っていて、綺麗でいてなんか物悲しい。

ライブマンの大いなる力、スーパーライブロボでザイエンを倒した夜、展望台に出て改めてシド先輩の魂を救うためにもう一度足掻くことを誓うジョー。

見つめる夜空の遥か彼方の宇宙にはギガントホースのブリッジに独り立つバリゾーグ。

ジョーの気持ちは決してバリゾーグには届いていないんだろうけど、その目の前に大きく映し出された地球が美しくて、2人は向き合っているんだなと切なくなる、大好きなシーン。

 

■BGM

渡辺監督曰く、「ジョーがシド先輩を思うBGMとして、研究室、ザイエンを倒すシーン、ラストシーンと、同じ曲のアレンジを使いました」とのこと。

このBGMは、ジェットマン回でジェットマンにチェンジした時に主題歌インストの代わりに使われた曲をゆったりめにアレンジしたものだと思うけど、ドラマチックで切なくアレンジによっては荘厳で、個人的にこの回ですっかりジョーとシド先輩のテーマになってしまった。

曲聞くだけでパブロフの犬みたいに反射的にうるっと来るからもはや重症(笑)。

 

■揺り戻し

ゴーカイジャーは地球に来た本来の目的が宇宙最大のお宝get。それに必要な大いなる力を得るためレジェンドとの交流に尺を割かなければならず、更に第3勢力のバスコがそのレジェンドを付け狙うこともあって、ザンギャックの出番や描写にしわ寄せが行きがちな面はあると思う。

ジョーとバリゾーグとの因縁も例外ではなくて、11-12話でせっかく劇的な因縁が明らかになったものの以後はここまでほぼ絡みなし。26話のハリケンジャー回では14話ぶりに2者が対峙したものの、特段のリアクションもなく普通に対戦しているだけだった。

コラボスペシャルに引っ張られて因縁を出せなかったのか、それともスタッフさんとしては震災の影響もあり当初の想定以上にレジェンド優先に舵を切ったため、ジョーはシド先輩について12話時点でもう整理決着した、という形に切り替えていたんだろうか?

荒川さんがたまに使う手だけど、12話のジョーの描き方は因縁を続けても続けなくても良いような匙加減に治めていたとは思う。

けど、魅力的な設定なだけにこのままただの敵になってしまったら勿体ないなと、当時気になっていたところに香村さんが、改めてバリゾーグと向き合う意味を付加して揺り戻してきた、みたいな印象がある。

なお香村さんは当初、ライブマンの昔の友との対立構造に重ねるのを、マベVSバスコとどっちにするかで迷ったとのこと。

上で書いたように、2人の「じょー」の物語のシンクロっぷりが予め想定されていたかのような完成度だったから、意外だった。

でも、ザンギャックの補強と言う意味でも、つくづくジョーとバリゾーグの方で良かったなと思う。