千年という時の遠さについてあれこれ~ルパパトとタイムレンジャーから(ネタバレあり)~
ルパパトのギャングラーのボス、ドグラニオ様は2018年の第1話放送時に999歳を迎えた。つまり放送日を誕生日とすると2019年の2月11日にちょうど1000歳になったことになる。1年前の華やかで盛大な誕生パーティーとは打って変わって孤独で惨めな誕生日になっただろうけど。
ギャングラーが台頭し、異世界からノエル達の先祖が人間界に逃げ込んだのも同じ頃の約千年前。
タイムレンジャーの未来人たちは西暦3000年からちょうど千年の時を超えて西暦2000年にやってきた。
去年から今年にかけてがっつり見ていた戦隊がどっちも千年という時間をドラマの中で使っていた。
だから千年にからめてちょこっと考えたり調べたりしたことを、とりとめないけど書き留めておきたい。
■安部貞任と同い年
ドグラニオ様が2018年に999歳を迎えたということは誕生年は1019年。
平安時代(794年~1192年)のほぼ真ん中あたり。
藤原道長が存命中で、息子の藤原頼通が関白になった年らしいから藤原氏の栄華のピークかな?庶民の生活は知らないけど、政治的には安定してたってことだろうか。
この年に生まれたのは、と調べてみたら、前九年の役(1051年~1062年)で朝廷に刃向かって討たれた安倍貞任(~1062年)。
奥州藤原氏を興した藤原清衡の母親の兄つまり伯父さんにあたる。
安倍首相が自分はこの一族の末裔だと自称しているとか。
NHKの大河ドラマで「炎立つ」の第一部に登場し、村田雄浩さんが演じていた。
■出自を気にするには遠すぎる
千年てそのくらい遠いんだよな。
その頃に異世界から逃げ込んで来たって、どっかに固まって世間から隔離されて生きてきたならともかく、散らばって人間に紛れて生きてきたら、念入りに代々言い伝えてないと自分の祖先がそうなんだってことすらいつの間にか忘れ去られてもおかしくないくらい。
ルパパトのノエル達異世界人は、もとがどんな外見だったかはわからないけど、ドグラニオ様が「もはや人間と区別がつかんな」と言った。そんだけ長い間、時には人間の血も入ったりしていたとすれればそうもなるだろうな。
それなら、誇りたくなるような祖先ならともかく、隠しておきたいならむしろ積極的に記憶や記録から抹消してしまうことだって出来てしまいそう。
ってことでこの千年という長さは、ノエルの人外設定やそれを隠さなければならない必然性って観点からは残念ながらマイナスに働いたと思う。
100年か150年くらいならまだ違っただろうか?あんまり千年に拘る必要性も思い浮かばないけど、ルパンコレクションの出所をギャングラーではなく異世界人とするために何らかの考えがあってドグラニオ様の誕生時期と重ねたんだろうか?
でもそれより身体的違いや、初登場時から堂々と披露している身体能力以外の、超能力的な特殊能力がある等の方が隠したがる説得力が増したのではと思ってしまった。
■絶滅生物のロマン
ただしそれとは矛盾するかもだけど、人間と外見的には見分けが付かないのに異世界人としてのノエルに執着するゴーシュには、説得力を感じた。
何ヶ月か前、京都の河原に集まった野犬の群れのニュースを見てた時に思ったんだよね。
群れの中にもし100年も前に絶滅したニホンオオカミが混じってても私は見分けがつかない。
でもニュースで、実はニホンオオカミが混じってたと知ったらきっとわくわくして
「ちゃんとよく見たいから誰か捕まえて!」
と絶対思うはず。
ゴーシュにとっては
野犬→人間
ニホンオオカミ→ノエル
なのかもって。
ゴーシュは千年前に生まれたドグラニオ様よりずっと、たぶん何百歳も若いだろうから、彼女にとってノエルは、自分が生まれるより遥か昔に、ギャングラーの世界では絶滅した伝説の生き物。そんなロマンをかき立てる存在だったのかもしれないな。
もっとも彼女の場合「ちゃんとよく見たい」は、「切り刻んで体の中を見たい」って意味になっちゃうんだけど(汗)。
■罪悪感を持つにも遠すぎる?
一方、タイムレンジャー最終回では別の形で千年の遠さについて考えさせられた。
黒幕のリュウヤ隊長は、時間移動実験の失敗の際、時空のゆがみの中で、自分が21世紀に派遣されそこで殉職する未来を見てしまう。その死から逃れるため千年前の人間に肩代わりしてもらおうと画策し、結果的に滝沢直人が死亡した。
それを知ったシオンは、千年前の人たちだって生きているのに酷い!と憤った。
けど、それは実際にあの時代に行って、身代わりにされた直人とも交流していたから、という面はなかったろうか?と思えてしまう部分もあって。
「自分の死を知ったら、それを変える方法があれば、誰だってそうする」とリュウヤ隊長は言ったけど彼にしてみれば、千年前の会ったこともない、どんなに長生きしても900年前には既に死んでいる、しかも何もしなくても大消滅で死んでいたかもしれない当時の人間を一人身代わりにしたとしても、そんなに罪悪感を感じることはなかったかもしれないな、と。
自分に置き換えてみても、余命6年を宣告され、その死を平安時代の誰かに肩代わりさせる方法があると知った時に
「千年前の人間だって生きているんだから」
と思いとどまれるかな?と思うと自信はない。
千年という時間の隔たりは、罪悪感を持つにも遠すぎるのでは?と思った。
■生まれる時代を間違えた?
ちなみにタイムレンジャーの「30世紀」を現代に置き換えてみるるとこんな感じだろうか?
ロンダーズは、21世紀の犯罪集団がマシンガンや手榴弾ひっさげてバイクや自動車で平安時代に乗り込んで暴れてたようなものかも。
タイムレンジャーは、警察の特殊部隊が完全装備と装甲車で追っかけてきて、源氏のはぐれ者の嫡子を取り込んで活動拠点を得たようなものかな?
タイムファイヤーは、源氏の棟梁に拾われ野心を持ちつつ嫡子に仕えたりもしていた雑兵が、ひょんなことからマシンガンと防弾服と装甲車一台を手に入れて大活躍し、一気に名を挙げちゃうとか。
源氏に仕える職人が全力で防弾服やマシンガンや装甲車の仕組みを解明しようとしてもさっぱり分からずお手上げで量産不可能。
手に入れた時に、何だかよく分からんがガイダンスに従って操作してたら生体認証設定されちゃって他の人には使えない。
活躍が評判となり棟梁に目をかけられるも、棟梁が戦闘で深手を負って部下たちが跡目に嫡子を呼び戻そうとしたため、源氏を飛び越えてかねてより目をかけてくれた朝廷の有力者と誼を通じ、勅命を出して源氏の配下を乗っ取り、直属の護衛を仰せつかって北面の武士とかを歴史より前倒しで創設する。しかし奇跡的に回復した源氏の棟梁の逆襲で、有力者は失脚、落ち延びて再起を果たそうとするも・・・みたいな。
書いていて、野心剥き出しで足掻きクーデターも起こし一度は頂点に近づくも敢えなく追い落とされてしまった滝沢直人の苛烈なキャラや運命って、平安時代末期とか戦国時代とかみたいな乱世の方がしっくりくる人間かもと思った。生まれる時代を間違えたかなと。
■追いつけない技術力の差
あと、現代の技術を時代劇の世界に持ち込んで活躍って、「仁~JIN」とかあるけど、それを
時代劇→現代
現代→未来
にスライドさせて時代劇→現代の人間の視点でやってみたのがタイムレンジャー、って見方もできるのかなあと。
戦隊ならではの変身機能や巨大ロボの技術も、未来からのものっていうSF要素をまぶすと個人的にリアリティーを感じた。
特に、変身スーツを現在のSWATあたりが使っている防護服、武器を銃に置き換えただけでも、平安時代では絶対に解析不可能だろなって考えると、30世紀の装備を現代の知識や技術力で解析できない説得力が増した。
改めて、千年の隔たりは、技術の差って部分でも物凄く大きいんだな。
千年経てば、人類がそれまで滅びてなければ案外、戦隊の変身スーツや合体ロボなんてのも実現できているかもしれないんだなとも思ったりして。