キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

ルパパト: 公式完全読本の感想~調整弁でも舞台装置でもなくキャラクターとして~

今回は公式完全読本について。

盛り沢山で充実した中身なのは前提で、だけど私の興味は主にノエル関連とか終盤関連とかに偏ってるのでそっちに全振りで、とりとめなく。かなりネガティブなのでご容赦を。

 

■あのことはぶっちゃけられない

読本ではビークルをルパンに集めたあのテコ入れの事は一切触れていない。

やむを得ないんだろうけど、その時点でこの読本は例年よりぶっちゃけ度は低く、真実ではない形で辻褄を合わせようとした部分もあると思っている。

特に宇都宮Pと香村さんの対談はそういう穿った目で見ずにはいられなかった。

特に辛かったのはここ。

 

聞き手「(ノエルについて)かなり終盤まで(警察から)信頼され切らないままの印象があって」

香村「最初からそうしようと決めていたわけではないんですが、快盗と警察それぞれとノエルの関係性は同じようにならないほうがいいかなと。」

 

聞き手の「かなり終盤」がどのあたりを指すのかはわからないけど、「同じようにならない方が良い」ってのは一つの考え方でそれは否定しない。

でもそれが番組やノエルの魅力にプラスになったかは別なんだよな。

 

警察がノエルを信用しきらないのにはそれなりの理由や描写が必要。もし視聴者から見てノエルが信頼に足る行動を積み重ねているのに信頼しないままではパトレンの好感度が下がってしまうから。

それを防ぐために選んだ方法は、ノエルの警察への貢献は極力描かないし印象に残さないこと。あっても35話の分裂した人の救出方法のように、画面の外でノエルがパトレンに伝えたと匂わす程度に留め、パトレン側も結果的に助けられても憮然としているだけで極力助けられてた印象を薄めようとしていたように見えた。

反面信頼しきれなくても仕方ないと思わせるようなノエルの描写はがっつり描く。例えば情報漏洩とか。台詞でも補強された。

「快盗の利益を優先し過ぎたんじゃないのか?」とかって。

だから信用されなくても当たり前って見せ方。

 

でもじゃあノエルの好感度は?

ノエルは元々快盗側の人間だからと納得する意見は見かけたけど、積極的に肯定し評価する声は私の見た限りではなかったな。

逆にそれに関する批判や不満は凄くたくさん見た。特に一部パトレンファンの不満を高め憎まれる原因になったこと、また好きな番組だから全員を好きになりたかったのになれなくて辛い思いをした人もいた、ということは、改めて言っておくよ。

 

でも本当はここ、やっぱりテコ入れの影響なんでしょ?ってどうしても考えてしまう。

個人的に香村さんは人間関係の変化を時に細やかに時にドラマチックに描くのがお好きなイメージがあるから尚更、警察とノエルが長い間信頼を深めずにいることを自分から選ぶかなって。

ネックになったのはやっぱり、いくら信頼しあってもノエルから警察にビークルを渡せず、劇的に関係が進むと渡せないことが不自然になってしまうこと。

だからクリスマス販促がひと段落する42話まで、ノエルと警察の関係はイベントはあるもののとにかく曖昧なままやり過ごす。そんな風に見えた。

そしてビークルを渡せず活躍が制限されるパトレンのせめて好感度だけは守ろうとした結果、棚ぼた強化と引き換えにノエルの警察としての活躍や好感度は削られた。

ノエルの事ももっとフォローして欲しかった思いは強くあるけど、こんな感じの事情だったのではと思う。

でもそうぶっちゃける訳にはいかないからこんな言い方をせざるを得なかったのかなって。

敢えて触れずにスルーする選択肢もありそうなのに、なんでわざわざ話題にしてしかも「私が考えました」って形にしたのかな?とは思うけど。

 

■38話について

ビークルを渡せない事の物語上の弊害が最もハッキリ出たのが38話で、これまで何度も書いているけど、等身大戦でノエルが使うだけならともかく、ロボ戦でもルパンカイザーが使わなければならなかった事が、ノエルと警察のハッキリした信頼の深まりを描く事を決定的に阻んだと思う。

そしてその事が、この回を好きな人には申し訳ないけど、上記のような警察とノエルの関係の描き方の方針を決め、その影響が最終回を超えてFLTまで及んでしまったのでは?とも思っている。

なので、この回について読本で何て言うのか気になってたけど、俳優インタビューで触れたのはザミーゴ役の入江さんだけで、他は誰も触れなかった。

ノエルが快盗側に認められる25話については、23話でコンビ回があった青を除く赤黄銀全員インタビューで触れていて、38話は警察側でのそれの対になるという見方も出来そうかなと思われたんだけど。

更に宇都宮Pと香村さんの対談でも全く触れられなかった。

 

そして演出の中澤監督は

「この回は実際にパワーアップするのはルパンレンジャーだけど、頑張っているのはパトレンジャーという構図で、いかに警察側をカッコよく見せるかということを考えていたところはありますね」

と語った。これは結構異例じゃないかなと思う。普通ならパワーアップする人がパワーアップする理由や物語を絡めてカッコよく描かれるのに。

だから本来あるはずだったパトレンのパワーアップがなくなった埋め合わせにせめて、という配慮だったんだろなと思う。

やっぱり色々捻れてる苦しい回だったんだと改めて思った。

 

で、棚ぼたでパワーアップを貰ったけど描かれ方で割を食ったのがノエルだと思う。

聞き手の人は

「38話はノエルがかっこいい回でもありました」

と言ったけど、ごめん、私にはパワーアップする本人なのに全然良いとこなしに見えたよ。

警察のビークル獲得を邪魔しに行ったらデストラにボコボコにされ、邪魔するはずのパトレンに逆に「胡散臭くても人間だから」と基本的人権の尊重を理由に助けられ、一緒に戦ってたらビクトリーとサイレンを手にしたルパン側から唐突にサイレンを打ち込まれてびっくりしながらスーパー化って。

大人の事情はどうあれ、強化される人にも強化されるに相応しい描かれ方がちゃんと欲しかったよ。

強化されるノエルよりパトレンを優位に描く事でバランスとるより、どっちも同じくらいカッコいいって描き方は出来なかったのかなって、あの回思うと今でも愚痴になる。

 

■杉原監督インタビュー

一度もメイン回を撮らなかったから仕方ないかもだけど、メイン監督なのに、4ページにも渡るインタビューの中で、ノエルや元木さんの芝居についてだけ一言もなかったのが寂しかった。ノエルがゴーシュに双眼鏡で体を見られ、狼狽えてコグレに心情を吐露した42話も、最終3話についてたっぷり1ページ以上語られた中でも一言も。

編集でカットされたのかもだけど結局、ノエルはそういう立ち位置でそういう扱いだったんだと思わずにいられなかった。特に最終3話の中では役割はあってもドラマはなく、キャラクターであるより舞台装置という位置付けだったんだろうと。

だけど最後に

「可哀そうなことにノエルだけは夢を叶えられていないんですよね。タイミングがあれば、ノエルをアルセーヌと再会させたい気持ちが今でもありますね。」

と言ってくれてありがとう。

 

■48話のカット内容

渡辺監督「この話はアフレコの尺調整をしていない段階で9分オーバーでした。~(略)~お芝居部分も止むなくカットしている部分がたくさんあります。」

 

この回って、結構賛否両論あったっけなと思った。快盗が仮面を取る必然性とか。いろいろ削った事で、伝わりにくくなった部分もあるのかな?

ただ私はその削られた部分で、快盗警察がそれぞれノエルがこれまで両戦隊のためにしてきた事についてもう少し語ってくれていたと思いたい。

本放送では最後まで、ノエルが「一番茨の道を歩いていた」事を誰一人言葉で認めず労わず、それどころか責められ胸倉掴まれて終わってしまった事が凄く凄く凄く無念で、FLTという別媒体ではなく映像作品で今からでもと思っているのは変わらないけれど、労いを書いてはくれていたのでは?って思えるかどうかだけでも私にとっては違う。

たぶん私はまだ信じたいんだと思う。

 

■急拵えの43話44話

ノエルの正体が判明する43話44話を担当した金子さんインタビュー。

「この回はもともと悟だけの話でしたが、ラストに向けてノエルのこともやっておいた方が良いだろうということになり、途中で詰め込む形になりました。~(略)~次はクリスマス回で、ここで溢れたら鮭やチキンどころじゃなくなるので、無理にでも収めなければならなかったので」

 

「ラストに向けて」というと43話44話では

・ゴーシュのノエルへの固執→正体バレに繋げる

・コレクション台帳を魁利に渡す→最終回のドグラニオ攻略に繋げる

・4人の願いはひとつ→正体バレとドグラニオ攻略と最終回後のVS続行に繋げる

という布石があった。。

私は最初、コレクションを全部集めた先のノエルとルパン家の願いの結末という物語のための布石かと思っていたけど、そうではなかった。VS続行の形で最終回を迎えるためだったんだな。

アルセーヌを最後まで俳優ではなくスーツアクターが演じていた時点で、ノエルの願いはVS続行のための舞台装置としてしか扱われず、アルセーヌとのちゃんとした物語をやるつもりはこれっぽっちもなかったってことに当時気付かなかった。てっきりやるもんだと思っていたから。

でも演じた浅井さんもある時点まで「あとで、もっとちゃんとした役者の人が来ると思ってた」そうだけど。

 

それにしても43話44話でノエルの話をやらない場合、ノエルの正体についてはどうするつもりだったんだろう?

・コレクションは集め切らず最後まで謎に包まれたままの存在で終わる?

・コレクションを集めての願いの結末までやり、その過程で一気にノエルの物語もやるという選択肢もその時点ではまだあった?

 

よく分からないけど、さすがにこんなにドタバタするならラストはもうちょっと早めに決めた方が良いんでは?と思った。宇都宮Pは1年間の縦軸の物語の結末がどうなるかは、あまり最初の方から決めない方だというのはちょこちょこ聞いていたし、確かウィザードやジュウオウジャーでも終盤バタバタと急激に話が動いた印象だからそういう傾向なのかもだけど。

 

■コレクションを全部集めたらどうなるか

宇都宮P「(コレクションの全貌について)あれはあくまでも<快盗が盗む物>ぐらいの認識だったので、実際に劇中に出ていた範囲以上には考えてないです。コレクションが全部揃ったらどうなるんだろう?というのは考えようとしていたんですが、最終的に集まらないことになったので、結局は決まらず仕舞いでした。」

 

やらないと決めたのなら、他に考えることが山ほどある最終回やその後のことに頭がいっぱいで、そっちに考えを巡らす余裕なんてなかったかもなとは思う。

ただ集め切らないと決めたことでノエルを着地させなくてよくなり、余計に彼をキャラというより舞台装置として扱う向きが強くなってしまったのでは?って気もする。

終盤の<あれもノエルが悪い、これもノエルのせい>の連続とそれに対するフォローの薄さ、そこからあの最終回への流れを考えるとね。

 

で、これからもコレクションを集めた結果どうなるかは「決まらず仕舞い」のままなのかな?

このまま?ずっと?

 

このまま決まらず仕舞いでいいと言うのは、ノエルは舞台装置のままでいいと言ってるように今の私には受け取れてしまう。

実際、読本を読み進めるごとに、ノエルは製作陣にとってキャラクターというより調整弁であり舞台装置で、それは終盤に行くほど強まっていったんじゃないかな?という思いが改めて強くなっていった。

 

でも、キャラクターとして見たら、このままずっと、例えば10yearsまでアルセーヌを生き返らせるために快盗達を精神的に縛っているノエルって、どう見える?

私はその半分の5年でも痛々しくて耐えられないけど。

それともその頃には決着着いてるという想定なのかな?それならそれをちゃんと見せて欲しいよ。

 

物語の調整弁でもVSの舞台装置でもない、きちんとキャラクターとして扱われたノエルの物語を見てみたい。アルセーヌにもちゃんと俳優さんを起用して。それはもう叶わない贅沢なんだろうか。