キウイXのつぶやき

今はスーパー戦隊関連、特にルパパト関連の呟きその他をまとめたり考察したりしてます。ルパパトのノエルのスピンオフについて二言目にはしつこく要望してます。

ルパパト24話感想: 魁利のことなど

今回もツイッターで呟いた感想などから

 

15話で毒に犯されたまま任務続行した圭一郞を理解出来ずにビビった魁利

今回はその魁利に対し「ブレーキが壊れている」とビビるつかさ

両陣営で狂気の発動条件が違うだけで端から見ればどっちもどっちなのを互いに理解出来ずに「あいつやべえ」と怖がり合ってるだけにも見えるけど、ここで両赤をどっちも狂気と認識しているのがつかさってのも今後何か意味を持ってくるのかな。

 

ただ、魁利がつかさからためらいなくペンダントを奪い取って首にかけたのは、壊れたブレーキに加えて、つかさには「生きて帰る約束」があると知ったから使わせないってのもあるかも。

はっきりと描かれたわけじゃないけど、2話で魁利は圭一郞の時も「約束ね」って言ってたから。魁利って自分たちの約束に拘る分、他人の「約束」にも弱そうだなって。

少なくとも「早く使えよおまわりさん」などと煽ったりはしなかったと。

 つかさが感じた狂気の根底にはもしかしたらつかさへの思いやりもあったかもだけど、つかさがそれに気付く日はくるんだろうか。

 

魁利については東映予告にあった魁利の部屋も印象的。

兄貴との写真以外、なんにもない。

好きな物であふれたつかさの部屋や、居心地良さそうな咲也の部屋と全然違う。

兄貴といた「過去」を取り戻すために「今」を捨ててるんだね。

 

透真には料理人としての誇りがあって、ジュレでもよく料理本を見てる。

初美花はお洒落が好きなのは滲み出ていて、今は封印しててもいずれその道に向かうかも。

この2人には、大事な人を取り戻すために捨ててる「今の生活」の中にもそういう物が見えるけど、魁利には見当たらない。

単に掘り下げを控えてるだけかもだけど、空っぽの部屋を見てから、魁利には兄貴への憧れや反発や後悔から生まれた物以外に好きなものとか興味のあることってあったんだろか?って疑問が。

兄貴に育てられて、良いことも悪いことも人生の中心に兄貴しかいなかった子がある日突然それを奪われた、それも自分が突き飛ばした直後で膝をついたまま凍らされて消えた、それを悔やみ自分を責め続けているんだとすると、魁利の「空っぽさ」もちょっとだけわかるような気もする。

 

でもそんな魁利を事情を知らないまま気遣い、捨てているはずの空っぽの「今」に踏み込み始めているのが圭一郞であり今回のつかさであって、徐々に徐々にその「今」を変えていくのをみせようとしてるのかなこのドラマ。

 

以前から魁利の、強かな喰わせ者で有能なリーダーとしての顔と、まだ成長途上にある揺れ動く少年の顔という二面性に惹かれて、そんな彼の2つの顔が交互に見え隠れしながら冒険を生き抜く様にワクワクしていたけれど、今回は彼がそういう危うさを抱えた本来大人に補導されるべき未成年だということが最大限生かされたお話作りと演技だったなと、改めて魁利に引き込まれた。

思えば当初主役が17歳と聞いて「え?大丈夫?」と結構心配した自分を殴りたくなってきている(汗)

警察側に23~24歳と戦隊では比較的高めを揃えたのも、「大人と少年少女」をが織りなすお話をやりたかったのもあるのかな、と。シリーズ初のW戦隊だから出来ることをこういう形で使い切ろうとしているのかと、改めてこの制作陣にぞくぞくしてる。

 

あと、圭一郞の山場をこれまで全て加藤監督に任せているように、揺れ動く危うさも抱えた魁利の前後編は中澤監督に任せるという差配なのかな。宇都宮Pはとにかく中澤監督を信頼してるし、それだけ魁利を取り扱い注意のキャラと思っているのかも。

そういえば出演時間が段違いなので単純比較してはいけないのかもだけどザミーゴも、中澤監督の時は不気味さや歪さがかなり強調されてる感じで、ひょっとしてザミーゴも前半は中澤監督にキャラの演じ方や演出方法を固めさせる意図があったのかな?という気もしてきた。